、そのたのしみはつくせません。
 わたしは出嫌いな性分なのね、それは御想像以上だと思います、ですから、必要がすぎると忽ちじっとしてしまって、その代り、気持よい点滴のように書きたくなって来るのです。どこで暮すにしろ、天気晴朗の朝、俄然婦徳[#「婦徳」に傍点]を発揮するまで、わたしは土いじりと勉強とで過したいと思います。よく
 四月十七日
 さて、さて。――
 この一行の間に、何という変りがあったでしょう。十一日の午後、てっちゃんに会ってから、袋一つもって鷺の宮へゆき十三日は潰されるばかりの電車にのって、あちらからお目にかかりに出ました。
 帰って、その晩、あの空襲[自注11]でした。幸その夜うちには、菅谷とその父、よし子の弟、従弟、妹、よし子、わたしという顔ぶれで、この附近の家としては珍しい働き手ぞろいでした。はじめ遠かったのに、いつもここは終りの一時間がピンチね。物見に出ていた男達が壕へかけこんで来て、ソラと出たときはもう裏隣りの有尾さんというところから火の手が出て、次々とうちの左手(門からは右)の一画がやられ、うちはポンプを出しホースの水を物置にジャージャーかけて働きました。いい工合に風がなくて火はおとなしくやがて吹き出した風は東南風で却って団子坂辺の火の粉をけすに気をはりました、不発が落ちました、この手紙のはじめに、雨戸の閉された家々と書いてある、それらの家々はほんの数分間で消え失せました。もうずっと久しく生活の物音はきこえなくなって居りましたが、二階の机をおいて障子をあけると一望千駄木学校が見え、きなくさい春風が、楓の若葉をゆるがせて居ります。
 一応しずまって食堂へ来て、その日の午後川崎から来た女の呉れたチューリップが紅と黄に美しく朝鮮の黒い壺にさされているのを見たら、けげんな感じでした。家をやかれた人はその感じがさぞ鮮かでしょう。
 千駄木の裏のわたしたちの愛すべき小さい家も遂になくなりました。目白のもとの家二つは、どうでしょうね、ありそうでもあり、無さそうでもあり。目白の先生は旅行中でしたろうと思います。火の見櫓が見えた二階の家もなくなってしまったわ。
 十四日に菅谷が、そちらの安否をしらべに自転車で一廻りしてくれました。それでやっと気が落ち付きました、十六日には、往復二里ほど歩いて行きました、話よりも目で見た印象は何ときついでしょう。どんなにぐるりが熱
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