く、赤く焔の音がひどかったことでしょう。本当にどんなにあつかったでしょう、うちの火でさえ風はあつくなりましたもの。
 十八日には面会が出来るという張り出しを七八人のみんな歩いて来た連中が眺めました。体が乾きあがる感じにおあつかったのだろうと思います。
 こういう場合を予想しなくはなくて、それでも、無事にしのげて、うれしく、うれしく思えます。まだこれから先のことがどっさり在るにしろわたしたちはやっぱり距離にかかわらず、手をつないで火でも水でもかきくぐり、そして清風を面にうけるのであるという確信をつよめます。うちの方は、団子坂からこちらまでがのこって居ります、その前側も。学校側は竹垣一つです。あと焼跡。ですからこんどは逃げる場所は到ってひろくなりました、広いわ、実に実にひろうございます。
 縦の第一列になりましたから、こんどはこちらへ落ちるでしょう。その点いよいよ油断出来ませんが、同時に安全度もまして、面白いものです。

[#ここから2字下げ]
[自注11]あの空襲――四月十三日百合子が一人留守番していた駒込林町の弟の家の周辺が空襲をうけた。竹垣の外の細い道の隣までやけて家は残った。この前後に巣鴨、大塚、池袋にかけて大空襲をうけ、拘置所のぐるり一帯は焼野原となった。拘置所の高い塀の外にならんでいた官舎はすべて焼けた。幸い、舎房には被害がなかった。
[#ここで字下げ終わり]

 四月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(近江八景・粟津の青嵐(1―3)、京都平安神宮(2―3)、近江八景・堅田浮見堂(3―3)の写真絵はがき)〕

(1―3)
 二十三日づけのお手紙をきょう二十八日頂きました、この頃あんなにあつかったり煙かったりしたのに爽やかそうにしていらっしゃると思ったら、やっぱりそういうお気持よいことがあったのね、およろこび申します。こんな手紙がどこから来るのかとスタンプしげしげ見ましたがうすくて見えず。平常の時よりひとしおと眺められます、こんなエハガキ面白いでしょう? 有楽町駅のスタンドで買いました、大正頃こういう輪の人力車がありました。

(2―3)
 四月二十八日の夜。こんな飾り菓子のようなエハガキを御覧下さい。現実の色調は、まさかこれよりは遙かに典雅です。風雪という風流な力が人間と同じように其に耐える建物は淳化させて行きますから。でも、あなたは山を見てお育ち
前へ 次へ
全126ページ中48ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング