島の坂手港棧橋及洞雲山全景(1/3)、碁石山全景(2/3)、雪の志賀高原(3/3)の写真絵はがき)〕
六月二十三日 1/3
十九日に開成山を三人づれで立ち(国、わたし、瀧川)わたしは久喜の友人のところへまわりました。十五日にそこまで成城から行った荷物は、もう発送されていて、余り調子よく運んだのでびっくりいたしました。二十一日にかえって来ました。そしたらそちらからの世帯一切がついていて、水色花瓶も無事頂きました。わたしのは一まわり小さくて花がひわ色でした。あれは白バラのつもりですって。
六月二十三日 (2/3)
お手紙をありがとう。この頃のお手紙一通は妙なよみかたをするのよ、算術をやって。全体で何字あるのかしら。先ずそう思うの。それからそれを三十でわります。すると一日にどの位宛たより頂いている割かしらと。配給も徹底するとそうなります。きのうから右腕が痛み、メリケンコを酢でこねた名倉の薬をはりつけてどうやらこれが書けます。国は丸の内です。
六月二十三日 (3/3)
こんなエハガキはみんなそちらからの頂戴ものよ。もう忘れていらっしゃる位古いストック品でしょう。来月一日は日曜日ですね。二日におめにかかって三日に立ちますからカンベンね。
多分そうなるでしょう。寿は追分に行く由です。本月中に何とかするつもりのようです。わたしは仰せかしこみともかく開成山へ参ります。そして東北巡行をやっていろいろ研究して見ましょう。どこもなかなか人ごみらしい風です。
七月七日 〔北海道網走町網走刑務所の顕治宛 福島県郡山市開成山より(開成山大神宮(※[#ローマ数字1、1−13−21])、開成山大神宮北参道(※[#ローマ数字2、1−13−22])の写真絵はがき)〕
(※[#ローマ数字1、1−13−21]) 七月七日、きょうは又開成山から書いて居ります。六月十六日にここから巣鴨へ書いたのが戻って来てそちらのことがわかりました。急にお立ちになりましたね。道中は汽車もあの通りだしさぞお疲れになったろうとお察しいたします。シャツが一寸のことでゆきちがってしまって御免なさい。わたしもやっと安心して林町を引上げました。十二三日ごろもう一度行って最後の片づけをいたし、二十日ごろ立ってそちらに参ります。割合準備して落付くつもりでゆきます。
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