天才として自分自身を感じたりしたのね。ピエール・キュリーとマリとはその磁力にみちた人々であり互にひき合う魅力を満喫した人々でありそれは普通に云われる男女の間の魅力をはるかにしのぐ魅力、かけがえなきもの天と地とのようなものだったと思います。だからマリはピエールが馬車に轢かれた後は義務の感じだけで努力したというのもよくわかります、ね。
ああ、わたしはこんなに話し対手がないのよ。こうして、何ぞというと、この隅っこへひっついてしまうぐらい。炉ばたでいろいろ喋っていますが、いつも買物の話、荷物の話、汽車の話。わたしは一人で、もう何ヵ月もそんなことばかり考えて来たのだからもう結構よ。本当に人間の話題[#「人間の話題」に傍点]が菰包みばかりになってしまうというのは、何たることでしょう。この状態はもう今月一杯で終られなければなりません。ここの人々は百喋って一つのコモ包を始末するという風だから猶更わたしは飽きたのね。一人でいれば退屈しないのに。
わたしはここへ来たら極めてストイックに自分の生活プランを立て其を実行しなければなりません、どれ丈手伝い、どれ丈勉強するかということをはっきりさせて。わたしはこういうリズムのない万年休日のダラダラ繁忙は辛棒し得ません。大の男が、何を考えているか分らない眼をして炉辺に一日いるのを見てもいられません。
わたしの人生はゴクゴクむせんで流れて居ります。胸のしめられるような思いで。ですからね、大いに智力を揮って、その熱い流れを、生産的な水源、発電所に作らなければね。
こんな生活の中で折角のわたしが何となく気むずかしく鬱屈したユリに化してはたまりませんものね。
ブリュラールはね、今五七頁のところです。お祖父さんが布地屋の倅に本をかしてやりこの利溌でない本ずきが、あとで継母になったマダム・ボレルという女に「マダム正直者の言値は一つしかありません」と云って、かけ引をする女の前から布をしまってしまったというところよ。可哀そうなムーニエね、きっとこのマダムは継母になったあと度々これを父親に話したにきまっていてよ「ムーニエったら」と。そして親父の遺言から何フランかをへずらしたのよ。(バルザックによれば)
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[自注15]アキ子――寺島あき子。
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六月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(国立公園小豆
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