仕上げた「綿入れ」には、一家をあげて驚歎いたしました。「マア、先生、おえらいこと※[#感嘆符二つ、1−8−75]」凄いでしょう? 女医でなくて先生になっちゃったのよ昨今。ほかによびようがないのですって。致し方もなし。これというのも、この節は夜具屋が縫わなくなって、うちで人に手伝ってもらって夜具の綿入れをいたしましたから、それで、おそろしながら「綿入れ」と称するものが出来上ったのよ、あれこそブランカ特製品ですものね、アタタカナラザルヲエンヤ。
十一月十日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十一月七日、これは、秋晴れの空からひらりと散って来た一枚のもみじの葉のような手紙。
さて、只今午後三時半。五日以来日に一度の行事も、本日分は終ったというわけでしょうか。さっき、もう一寸で出かけるところで、おべん当もこしらえて、まさに着物を着かえようとしていたら始りました。そのおべん当を今たべて一服というところです。
何年も、「一服」の手紙をかいて参りましたが昨今の「一服」は極めて時代的です。一日のときは、みんないましたが、壕の準備がしてなかったので大いにせわしない思いをいたしました。次の日にこたえる位。五日、六日、きょうと馴れて来て、次第に準備も出来て来て、きょうなどの成績は上の部でした。九時すぎに「定期」が来るから、けさは早くおきて御飯もゆっくりすませ、あおりで飛散したため、傷をうけることがあってはいけないと台所のガラスの空びん空カンなかみのあるビン類すべてを始末してあげ板の下にしまいこみ(只今ラジオのブザが鳴り。動坂の家のようなのよ、警戒警報解除)窓と水平の棚の上のものをすっかり空にして、引越し前の台所のようにしました。積年の弊がえらい状態のところへ、この頃は空カン空ビンみんな入用なのよ。ですから私はじめ保存病にかかっていて、役にたちかねるの迄すてないのね。(思い出してひとり笑いいたします。ブランカ、かん[#「かん」に傍点]だけの保存病だと思っているネと笑われそうで、そっちの保存病は数年前に大分治癒いたしました。)午前中其をやって、ホホウ、きょうは「定期」が休業ならと支度していたら、千駄木学校のサイレンが唸り出しました。近いからその点いいこと。本当に鳴り出す前の唸りの間に大ヤカン一杯の水は汲めます。
うちは、まだまだ整備どころではないのよ。国の性質は物臭さの屁理屈で all or nothing と、イプセン流なの。ですから、いろいろ放ぽりぱなしで「姉さん、いざとなったら同じことだよ」と、この間うち土蔵から出した陶器類ね、ズラリと並べたまま自分は開成山なの。いい度胸です。ですから、わたしは女心[#「女心」に傍点]の小心でね、昨夜は日本でも珍重すべき参考品をあまり芸術家として心ないと惜しくて大事につつんで、ガラスの棚から大きい古米櫃にうつし、蚊帳でくるみました。気休めね、埋めなくちゃ何もならないのよね、本当は。いざとなって同じというのもいいが、ものはすべて一挙に行きませんから、家じゅうのガラスがみんなこわれて雨が入り、室じゅうガラスの破片だらけで、腰かけるところもないようになって、しかもまだ家だけのこる場合だってあるのですもの。わたしはガラスの生えた席というものに大した嗜好をもたない以上、自分の安眠のためにもね、働かざるを得ません。
こうしてポツリポツリと働いて怪我の要素を減じてゆくというわけでしょう。でも昨夜はわたしもなかなかよ。午後になってから、思いたって、この間にとお風呂をわかしました。疲れたし働いてよごれたしかたがた。たしなみがいいでしょう? 一人だと却ってそういう早業がききます、気が揃うから。然し、一人きりなのは神経の緊張が自分で心づかずにゆるまなくていけませんね。こわいというのではないわ。緊張のゆるまなさ。昨夜もそれについて思いました。自分なんかこんなことでさえそれを思うのだが、と。自分で自分をくつろがせてやる術も入用ね。神経の緊張をゆるめる術を会得することは、私に特に必要でしょうと思います。やった病気の性質からね。
ブランカのくつろぎかたは一風あってね、かたくなったような頭を、一つのしっかりとした胸のところへもってゆきます。それは爽やかに、春の紺の染色が匂っています。その紺の匂いと胸の厚さには限りないあたたかみがこもっていてね。黙ってじっとそうやっているうちに、息がやさしくなって、次第にすやすやした自分を感じます。紺の匂う胸は、格別その間に一こともいうわけではないのよ。ただ頭をもってゆくと、すこし動いて、おさまりのいいように、羽づくろいをするような丈です。その微かな身じろぎに何と深い深い受け入れが溢れているでしょう。タンボリンはしずかに鳴りはじめます。冬でさえもそこには春のあった風[#「た風」に「ママ」の注記]が渡ったせいでしょうか、それとも二つの息があまり美しく諧調を合わせたせいでしょうか。
きょうは十日です。鴎外の翻訳だと、「楽《がく》の音はたとやみぬ」とでも云いそうに、旋律は途絶えました。あすこ迄書いていたら寒気がして来てたまらなくなったので、早速熱いものをのんで、ゆたんぽをこしらえて床へ入ってしまいました。夜の九時頃まで眠って目がさめたら、寒気はとまって、おなかがすいたのが分ったので、おきて御飯こしらえてたべました。働きすぎや何かで疲れたのね。八日のひる頃、そちらへ行こうとしていたら、寿江から電話で見舞いに来てくれました。八日の晩と九日の晩は、数日来になくよく眠って、大分きょうはましです。眼がすこしマクマクぐらいのことで。寿はきょう一寸千葉へかえり、明日又来てくれる由。「いくら壕があったって、たった一人おいておくなんて」それが本当よ。心もちの上では、ね。壕が丈夫だから一人でいいというのなら簡単ですけれど、もし万事それですめば。
この間うちから落付いて書きたいと思っていたことも、間奏曲が入って来てしまいましたから、これはこれでまとめてしまいましょうね。こんなに凸凹したような手紙、珍しいし、へばり工合が、おのずから窺われもいたします。本もののときなんか、たった一人というのは、あとの疲労の重さの点からもよくないと思います。段々こんな風に修業してゆくうちに抵抗力もますのでしょうが。
多賀ちゃんから手紙が来て、いつでも行くと云って来ました。どちらにいてもめぐり合わせだからと小母さんがおっしゃるしって。けれどもやっぱり来て貰うのは先のことにいたしましょう。第一国男がこれから先どの位田舎暮しをするのかそれも分りませんから。あのひとは、多賀ちゃんがいくらか気づまりなのですって、「馴れていないからね」。きょうは、いいものが島田から参りました。栗よ。いつもあすこのは見事ですが、もう今月から一切こういうものの荷物は送れないことになりましたから大打撃です。とくに開成山から全く野菜が来なくなるのは厨房係には涙ものです。では別に。
十一月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十一月十九日
きょうは少し嬉しいこと。雨が上ったばかりでなく、久しぶりで一人の時間が出来、家にいることも出来、ゆっくり書くひまが出来ましたから。金曜日に、風邪がうつって、と云って居りましたろう? あれが少々本物になりかかって、きのうは体じゅうこわれたセンベのようになって床について居りました。今日は眼の工合がわるくて、その点では書きにくいけれども、ぶくぶくに着て起きて居ります。出る用が多かったところへ寿が先ず床についてしまって(十六・十七)その上、久々でわたしと十日も暮したので、甘ったれてくっついてはなれないので、十六日に一頁かきかけて、珍しく中断してしまいました。六日、十一日、十四日とお手紙頂いていて、随分たくさんのお返しがたまった次第です。先ず、ブランカのばたくり占星について。
七日のあとに書いた手紙なんかは、典型的ばたくりを反映していて、あれは自分でそれを知らずさし上げたのではなくて、寧ろ、まア御一笑を、というところもあり、仔犬のフコフコもあり、かたがただったのよ。そんな気持がなければ、もっともっと烈婦らしい書きぶりの手紙さし上げたことでしょう。わたしは、家のものたちから余程万能薬と思われているらしくて、わたしの淋しさとか不便とかこわさというものは、全然無視したスパルタ的扱いをうけ、その点ではいや応なしの荒修業です。愚痴をこぼしたってはじまらないから、偉く[#「偉く」に傍点]なって居りますからね。だから、そちらへは、つい、もたれよって、フコフコになるところが少からず、というわけです。だってあなたは、わたしが疲れるとかこわいとか云ったって、少し苦笑して、せいぜい勉強することだね、とおっしゃることは分っていますもの、こうして姉さんやって行けないんなら、田舎へ行って貰うしかないね、なんておっしゃいませんからね。そしてわたしは東京にいなくてはならないのですもの、ねえ。
土台、わたしのばたくりは、春頃と今と本質的にちがって来て居ります。春ごろのは、本当のばたくりでね、ああいうことがあろうか、こういう風になっては困ると、いろいろの情況を予想して気をもんだ形でした。まだ体がしゃんとしなかったし、急に家じゅうすっからかんになってしまって、もし自分がどうかあったら、あれもこれも、どうなさるだろう、と後脚で突っぱった驢馬になってしまったのね。「あなたはそうおっしゃるけれども」は、私の一代の傑作と見え、大変きつく印象されて、今だに再出現するのは恐縮の至りです。
今のばたくりの本質は、どんなことになるだろうという風な恐慌的のものではございません。あとで、きょうこそ書けますけれども、生活について、この夏から徐々にわたしの心持は変化して来ていて、どうなるにしろ、という大局の落着きが根底に与えられて居ります。従ってこわさにしろ、首をすくめて浅い息をしているという形ではないのよ。遠くのボーをサイレンかと思ってハッとするという風なものではありません。わたしは、のろのろしているが、割合突嗟の判断はたしかですから、そういう場合の自信もあります。今ひどく疲れたり、へばったりするのは、具体的に、急な時間のとき処理しなくてはならないものが、あなたとわたしの事物ばかりでない、ということから来て居ります。五分間に二本の手が出来ることは大体きまったものです。リュック一つにしろ自分の分だけなら何でもないのよ。しかし先日のようなときは、一人で三つ始末しなくてはならず、その上、食糧のことも何もかも集約的にどっと来るから、一人ではあと大へばりするのよ。もしかしたら、わたしのやりかたは、少々ピントはずれかしら、とお手紙よんで考えました。一人の人間しかいない以上、一人だけの用を先ずしておいてあとはそのときという工合で、当然なのかしら。腹も立つわね、日頃何一つ心がけず放っておく人は其から来る不自由をしてみればいいとかんしゃくも起したいことね。バカ正直で、自分がいるのにと、つい柄にもなく意気ごんでクタクタになって、あなたから信用失墜ではユリちゃんも形なしね。わたし一身のことは(ばたつきの一形態かもしれないけれ共)日頃心がけて、ブーとなってからそれというほどでもないのよ。高射砲の音をきいたからと云って、まさか足どりがあやしくもなりません。今が今、いつ来るかと兢々ともしていないわ。
余りわたしが意久地なしのようで相すみませんから、一通り弁明いたします。こんどは、例えば自分で気をつけもしない外套をわたしが何とかすると期待したりして貰わないようにするわ。先ず一人単位ということにするわ、ね。そうしたらあれこれの配慮がずっと簡単化します、ガラスだらけの家になったら靴ばきで歩いて暮すわ、ね。十何年も前の冬、本場でスケートの稽古をしようとして金《カネ》のうってあるスケート靴を買いました。そしたら、肝臓の病気になって三ヵ月も入院しているうち春が来てしまって、その靴は、籠に入れられて帰国したまま先達ってまで、新聞にくるまれて居りました。もう無いと思っていたのよ、それが出て
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