#「知らない」に傍点]、そのじめじめ神経の張った黒い力は知らないが、真夜中にギラギラ白昼燈をつけてオートバイの競走をやって血を流す、明るすぎての暗黒力があり、其に対して芸術家は反応するのね、世界文学という見地からアメリカ文学のこの特徴は極めて興味があります。民主的な国柄の文学は所謂個性的なものに神経質に把われないところから、その一歩先から発足することは共通であり、直接社会にふれた文学にならざるを得ない本質も同じようですが、さて近づいて見ると、そこには興味つきぬ差別があってね。「怒りの葡萄」のスタインベックでしたか、生理学と物理学の勉強しているというの。アメリカ的渾沌にあきて、彼は法則の世界を求めているのでしょうね、法則を知りたいのよきっと、ね。人間の理性にたよるべきものを見出したいのよ、ね。しかし彼に誰か人あって、人間の文学は、パブロフ以後の生理学の示す第二命令系統《セコンドオーダーシステム》の問題であること、単なる生理的《物的》反応が人間精神でない、ということを示してやらないでしょうか。科学の貧困が哲学へのめりこみ、文学の貧困が自然科学へのめりこむ工合は複雑ね。
 そう云えばフランスでは最近シュバリエがマーキによって命を失いました。ピアノのコルトだの所謂名人が同じフランス人によってとらえられました。シャトウブリアンの孫の作家がどっかへ亡命し、NRFの或編輯は自分の頭に玉を射ちこみました。街の歌手、あんなにフランスの民衆が彼の粋さを愛していたシュバリエですが、悲しいかなその粋《イキ》は商品であって、巴里っ子魂ではなかったらしいのね。芸術的技能が商品化した連中は、国際市場の変動につれて、価格暴落でね。
 さて、話は家事茶飯に戻ります。樺太で電気技師をやっていると、ちがうわね、こまかい当節の波にもまれていなくて、若々しい専門的興味があって疲れたが面白うございました。この人が息子をつれて神田で見つけた大得意の本は、十九世紀の水力モーター(水車)について書いた本です。英語の。今の文献に、そんな大時代のものの説明はないから閉口ですって、そういうキカイを実際に使わなくてはならないからね。電気の人はなまけていたら飯のくいはぐれになってしまう由。この人の弟は東京暮しで、会社の拡張係か何かやっていて、もまれていることねえ。もまれて(スフの布のように)ついたしわ[#「しわ」に傍点]がそれなり消えずにいく分人間的固定の感があって。気のこまかい人、それを自分のプラスの面と心得ているような人は、我からもまれるのね。秀吉が大気ということを人間鑑定の中に入れたことは当って居りますね。才人が才に堕さない唯一の道は鈍になり得る力があるかないかのところね。対人関係の中に終始しないで、電気一本しっかりつかまえている丈で、人間も違いが出て(四十代でめっきり)大したものね。きょうはこれからそちらよ、では。

 十一月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十一月四日
 きょうは雨も上ったし風もないし暖いし、いい日になりました。ブランカは、今、洗濯ものをして来て、キモノをきかえて、食堂のテーブルに向ったところです、煙草が吸えるなら正に一服というところです。十時すぎに、国と、手伝っている事務所の女の子が開成山へ行きました。一人よ。ですから全く二人きりなの。
 三十一日の次の一日が空襲警報だったし、二日はそちらへ行って、夜、どうかして疲れすぎて心悸亢進したりし、三日はきょう立つというのでソワソワで一日中落付きませんでした、雨がひどかったしね。こうやってしずかで、二人きりなのは大変休まります。ゆっくり一日休めるような日は、あなたはほんとに少ししか口をお利きにならないことね、殆ど一日用のほかはものを仰云らず、体を楽にして軽いものをよみながら、そういうしずけさの中に充実している心もちよさを吸収なさいます。きょうなんかは、確にそういう日よ。わたしも同じ沈黙の賑わいを感じ乍ら、ゆっくり台所をしたり本をよんだり、心から愉しいでしょう。
 国男の事務所は、十一月一日からボカシのような工合で、内容が入れ代り、事務所のカンバンは出ているそうですが、所員は国一人で、協電社という小さな電器会社の本社となりました。国は十年ほどそこにひっかかりがあって、今度は何をするのでしょうか、ともかく、そっちへのびるようすです。あの人とすれば、不鮮明な外観をとりながら、父の没後負担至極であったものを閉じてさぞ気が楽になったでしょう、半日ばかり開成山へ行くと出かけました。
 さて、十月二十日のお手紙、二十七日のお手紙、そして、十一月一日の分、どうもありがとう。十七日のための歌謡やタンボリンが、お気に召してうれしゅうございます。「多少ユーモラスな」すいかずらは、自然のめぐりは健やかであって、冬来りなば春遠からじ、ということを大分会得しているらしいから、ユーモラス乍らすてたものでもございませんね。そして、程々ならユーモラスなのもわるくもないと思うのよ、賛成なさいませんか。堂々とした樹と同じ丈堂々と出来っこないのだし、しゃっちこばって堂々めかして勘ちがいしているよりも、分相当に枝もそよがぬ風にこちらの草はちょいとはためいて見たりするのも愛嬌ではないの? ですから、あの歌謡にもあったでしょう? 嵐のさきぶれが大気の中に迫るとき樫の木が笑うと。それはすいかずらがそわついて樫が擽ったいからだ、と。あの通りよ。すいかずらにしてみれば、パタついて、ほれほれと樹に笑われて、一層安堵するかもしれないのね、草にだって神経があるから、神経の鎮撫として、ね。すこしこそばゆくないすいかずらなんか天下にないのよ。耳の短い兎がどこにもいないように、ね。
 クライフは近頃でのいい本でした、太郎が成長してああいう本をよろこんでよむようになればいいと思います、きょう、イーリンの『時計の歴史』をもたせてやりましたが、まだすこし早いかもしれないわね、ふりがながないし。太郎のためにと思って、いい本みんな国府津へ送ってやってしまって、あすこもどうなることやら。地下室にしまいこまれているらしいようです。開成山の疎開荷物に、本の木箱二つが仲間入りいたしました。本をいじっていて感じましたが、本の大事にしかたというか重点のおきかたも、その人の成長の段々をきまりわるいばかり反映いたしますね。蔵書というものは大切なものね、その人の内部があらわれていて。文学者はとかく雑書が多いというのは、特長的で、しかもマイナス的特徴ではないでしょうか。
 本のよみかたについては先般来、一冊の医者の本も、どのように読まれるか、ということを痛感していたので、クラウゼヴィッツのことも身にしみました。或る優れた人は、一冊の本も、其だけの事実というか、リアリティーとして自分に獲得して、その地点では、読んだところまではっきり前進しその点は確保するのね。平凡な読みては、自分とその対象を相《あ》い対《たい》にしておいたままで、ちょいちょい本へ出入りして、わずかのものを運び出して来て自分の袋へつめこんで自分は元のところにいるのね。この相異は、結果として、一冊のよい本についてみても、よんだ丈のことはあるようになった人間と、「それはよんだ」人間と、おそろしい違いのあるものを生み出します。クラウゼヴィッツを、あれ丈のものを、もう一遍よみ直すお約束は出来かねますけれども、本を読むということについてのわたしの反省も、おかげさまですこし深められました。本を理解する力というようなものはまだ皮相なものですね、人生を理解したって文学は書けないようにね。読みかたに創造的読みかたと反映的よみかたとあります、後者は幻燈とその種板よ、こわいことね、種子板がどくと、白いカーテンばかりがのこります。何と多くの作家が、うすよごれたカーテンだけとなってしまっていることでしょう。表現派、新感覚派、シェストフ、知性、能動精神、人間性、歴史文学等。そこを生き経た人は何人で、種子板のいれ入り〓し、かわりに視点をうつして来た人は何人でしょう。思ってみれば、一人の人間が、もし真実其を生き通るならば、其はそんなに急にいくつも通過し得ないでしょうね、人間精神の変ってゆくキメは緻密で年輪はかたいものですものね、本来は。自然は人間が、持続しそこから発展し得るように、自然合理のテムポと理性を賦与しているのですもの。
 本のよみかたについては、ひどく感じつつあったところでした。一つの本をよんだ、ということは、泳ぎにおける腕の一かきと全く同じで、一かきした丈は、体がそこへ出ている、ということを感じて、驚きをもって自分を考えました。そうあるべきだわ、それ丈の価値ある本は、そういう風によまれるべきです。ありがとうね。
 二十七日のお手紙。おっしゃる通り親戚も世界にまたがって存在するようになりました。六月頃出した緑郎の手紙が一日に来ました。ノルマンディーに侵入がはじまった頃のパリで、まだそこにいた時分の手紙です。ざっとよんだだけだけれども、環境の関係か、急所でピンボケのようで、すこし残念でした。同盟通信に働いたり、夫婦で交歓宣伝放送に出たり細君のリサイタルをやったりしている様子です。僕等の活動についてお知らせしますとあり、いろいろそういうことが書いてあるようです。空襲警報のとき来ておちおちよめなかったけれども。パリを去るようなことは無かろうと云って居ります。その後の経過で限界もひろげられ愚かな人たちではないから成長もするでしょう。但し「選良《エリット》」すぎるのよ、大使館、正金云々とね、細君のひっぱりや緑郎の親の七光りで。外国でこれは用心がいります、出先の大使館のぐるりの生活は、土地ものの生活とのちがいがひどくてね。
 多賀ちゃんのことは、現にもうこうやって一人になってしまって居りますし、今度は一人も亦よしらしいからどうか御心配なく。
 十七日がしずかだったのをたまものと表現したからと云って、あながち、タマモノと思っているのでもないのよ、ハハンと笑って、わたしも一本参ったと申しましょう。でも、あなたねえ、何て、あなたでしょう、その点では痛快のようなものですけれど。
 クラウゼヴィッツは市ヶ谷の頃よみました、面白く、感服もして。そして、忘れもしたというのは、きまりがわるいわね。
 十一月一日のお手紙大変早く二日に頂きました。
 今年はたしかに寒さが早うございます、この秋は秋刀魚も焼かず冬となる、よ。秋刀魚なんて、ほんとにどこへ行ったでしょう、うちの柿はもげましたが。
 このお手紙にはブランカのバタツキ占星術克服のために、よめとおさしずがあり、一般的に、勉強を怠らない精神がどんなに大切なものかということは、十七日のあとの手紙に書いたとおりの実感です。あわただしければ遑しいほど着実な勉強が必要です。そしてそのことについてブランカは現時代人として最も貴重な教育を受けつつあると感じて居ります。これらのことについては、一まとめにして、別にかきます、あれこれの間に書くにしては余り貴いことだから。抒情的に云えば、わたしのこころに鳴るほめ歌の物語ですが、それは天上天下にひろがっていて、最も骨格的なものに通じるのよ(ブランカ流にしろ)ですから別に。
『名将言行録』について[#「について」に傍点]何か筋の通ったことをかくことは、容易でないでしょう、そういうのではないのです、あの中に語られている人、その逸話にあらわれている人間としての質量などについて一寸かきたいのよ、そういうものならばそういい加減な饒舌にもなるまいと思います。作家論の延長として、作家以外の人物について語ることもすこしは私の可能のうちに入って来ているだろうと思います(自分の成長との関係から見て)
「綿入れ」とかっこつきでほめて下さるからうれしさひとしおね。笑い話です。そちらからの帰り、ハタト当惑してね、送った荷物は着かないしいかにせんとしおしお日の出町の停留場へ辿っていたら天来の霊感で、ホラあのこと! と思い当り、それから大童でもんぺはいて熊の子のように着物と綿とのぐるりを這いまわって、やがて
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