かしら、彼の誕生日という絵。しかしあれも、その初冬の夜の何の奇抜さもない奇蹟の美しさにくらべれば、つまりはこしらえものね、天井から翔んでふって来るのですものね、そのひとのところへ、花をもった女のひとが。
 ああ、でも、どうして、あの崖のつるりとした坂道で、わたしがふと、こわがったのが、おわかりになったのでしょうね、どうして、あんなにすぐわかったのでしょうね。今年もやがて冬になり、あの坂道はやっぱり、すべりそうに違いないと思います。
 十二日、くたびれて、こんなに間が途切れてしまいました。きのうの朝咲枝とび立って帰りました。子供のことは勿論ですが、あのひとにとってもうこっちの生活は、全くこしかけよ、まして今度はタンスも机も荷作りしてしまったのですから。あっちにある、自分が主人の机、餉台、家じゅう――つまり自分の生活へ、とび立って帰り、そのうれしさかくせず、わたしもどっかへ帰ってしまいたいわ、と、咲枝に台所で申しました。
 きのうも陶器関係の用事で人出入り多く、今日も又大ガタガタつづきですが、さっき※[#丸付き通、464−13]が来て、土間の荷物をみんな運び出したからこれで一安心でした。いいアンバイに国男がまだいて、防空壕の左官もいて、わたしは手をかけずすみましたから、よかったわ。
 十日のお手紙けさ頂きました。早くついてうれしいこと。早くついたばかりでなく、うれしいお手紙でした。これへの御返事はゆっくりしたときこころもちよく書きたいわ、今は、あっちこっちで人声がガヤガヤして、まるで新聞社のどこかで書いているようなんですもの。しかしこんなに疲れているのに、わたしはこの頃誰にでも元気そうだ、と云われるのよ。何が原因でしょう、あなたのお手紙に、夏の頃より元気らしいとあるので、又思いめぐらすこころもちです。それは夏に負けた体だから涼しいのがいいに相異ないけれど、ひとの元気というものは根源の深いものではないでしょうか、わたしはそう思うわ、血気の元気は自然の年齢で鎮められてしまいますが、年を越え、肉体の疲れにかかわらず、猶、焔のようにその人を輝す元気があるなら、それは、内なる灯で、その灯の油こそ実に実に、ただごとで、そこに充たされてあるのではないのです。わたしはこの頃、自分の内心の幸福感に自分でおどろき、そのそよぎの活々した波だちに殆ど含羞《はにかみ》を覚えるばかりです。それはわたしたちのいとしい、いとしい燈明よね、改めてゆっくり、では。

 十月十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 昭和十九年十月十七日
 きょうは年に一度の十七日[自注14]ですから、紙も奮発していいのにいたしましょうね。いま午前十時すこし過ぎたところで、国が、用の電報を出しかたがた肴町の花やで菊の花を買って帰ることになって居ります。あいにくはっきりしないお天気になりました。でもゆうべは十時頃床につき、よく眠りましたから体も楽よ。
 けさの新聞は、台湾の東方洋上とマニラの近海における戦果を公表して、戦史まれにみるところとして居ります。十七日に、こうしてしずかに暮せることは一つのたまものです。幾匹も頸輪をはずされて野犬となった犬どもが、一列になって、すがれた夏草の庭や落葉のたまった破れ竹垣のところをかけて通る様子は、これまでなかった今年の東京の秋さびですが、でも空のしずかなのはうれしいわ。たとえ曇っていようとも、ね。
 国が帰って一束の菊をもって来ました。花やの店は大部分しめているのでたのんだのでしたが、肴町のも閉めていて、白山よりの左側の花やで買った由。白い菊、えんじの小菊、黄がかった中菊。この机の上にはえんじのをさしました。こんなに花のつつましい十七日は十何年来はじめてね。いつも花は困るぐらい溢れましたが。この花松という店、白山のわたしがはじめてポートラップというものをおそわった小さい喫茶店、覚えていらっしゃるかしら。あのすこし手前よ。ポートラップの店は今何を売るかしらないが形はあるようです。あの向いの南天堂のひどさ(本の)、それはどこも同じです。あの通りの中央に、大きい貯水池ができかかっていてほじくり返しのゴタゴタです。もう何ヵ月もよ、働いている人の姿もないままです。
 ことしのきょうは、わたしとして特別に心からのお祝いをのべたい心もちです。わたしの胸にいっぱいのほめ歌があって、それをどういう表現で伝えたらいちばんふさわしいだろうかと思案いたします。くりかえし、くりかえし考えます。非個人的な感動やよろこびを、最も個人的なような立場のものがひとに話すことは殆んど不可能であると。しかも、そのように規模ゆたかなるよろこびを、個人として近いからこそ、ひとしお深くつよく感じて、一層非個人的なひろがりに到るということは、何と微妙なあやであろうかと。そして人のこころというものは、おろそかに外に洩らされない感動のそよぎに充たされるとき、それは響きにみちて鳴らずにいられません。きょうのおよろこびに一つのタンボリン(羯鼓)をさしあげます。それはわたしよ。手にとってつよくうてば、その羯鼓はよろこびに高鳴るでしょう。指にとってやさしくうてば、羯鼓は懐のなかで鳴くように、肌にそって長く鳴るでしょう。膝の前において見ていらっしゃれば、羯鼓は見られることをうれしく思って自分も飽きずみられているわ。決して退屈しない羯鼓をさしあげます。おまけにその羯鼓はおてんばもすきで、もしあなたが機嫌よさにちょいとえりをつかんでもち上げたり、ころがしたりなされば、毬にもなってお相手いたします。枕につけて寝れば、それは夢の中にうたうでしょう。
 わたしのほめ歌の主題は、一本の樫の樹です。一本のすこやかな樫の若木が、草萌ゆる丘の辺に生い出でました。春の淡雪は若枝につもり、やがて根に消えて、その養いとなりました。夏の白雨は、靭《しな》やかな梢にふりそそぎ、一葉一葉に玉のしずくを綴って、幹を太らす助けとなりました。春秋いく度か去来して、今仰ぎみるその樹の雄々しさはどうでしょう。枝々は逞しく左右に張って、朝の日と夕べの月とに向って居り、梢は空にひいって、星を掃きます。鬱蒼とした枝々に鳥どもは塒を見出し、根の下草には、決してこの樹をはなれない一本のすいかつらも茂って居ります。樫は壮年の美に溢れるばかりです。すこやかな若木であったその樫は、この地上の誇として堂々たる壮年に達し、自然と人間をよろこばせます。ジュピターという神を、ギリシア人は意地わるもする神として考えました。自然力は横溢して、人間の都合をふみにじりもするからなのでしょう。
 ところでこの樫を、天なる神は非常にいつくしみよみしているにかかわらず、折々|霹靂《へきれき》とともに、おそろしい焔の閃光がその梢や枝におちかかります。その光景のすさまじさは、あわやその火の中に樫も根元からやかれたかと思うばかりです。しかし、雲が去り、風がやわらかく流れて煙を払ったとき、見れば樫は見事にその枝々をひろげてやっぱり堂々と立って居ります。只よくみると、一つの霹靂を耐え経るごとに、樫の枝と幹とは次第次第に勁さを増し、樹皮の創さえその成熟の美観を加えるばかりです。自然神は、その天性によって、いつくしみ、抱擁しようと欲するときにも、ありあまる力によって霹靂となってふりかからずにいられないし、火焔となって落ちかからないわけには行かないらしいのです。大樹とならざるを得なく生れついたその樫の樹は、この震撼的愛撫の必然をよくのみこんでいるらしく、おどろくばかりの自然さでその負担に耐えて居ります。そして年を重ねるにつれて重厚さと余裕と洞察の鋭さから生じる愛嬌さえも加えて来ているというのは、何たる壮観でしょう。樫の樹も人も知って居ります。雷によって枝を裂かれていない大樹は、一本もあり得ないということを。枝を裂かれつつ繁栄するそこにこそ大樹の大樹たる栄えがあるのだということを。そしてね、ここに一寸、おもしろの眺めや、というところは、例の樫の根元のすいかつらです。
 樫が若木であったとき、奇しき風に運ばれてその根元の柔かい土の間に生えたこの草は、不思議な居心地よさに夜の間にものびて、いつか花もつけ蔓ものばし、樫の幹へ絡みはじめました。やがて蔓はのびひろがって枝にも及び、花の咲く季節には、緑こまやかな葉がくれに香りで、そこと知られぬ深みにも花咲くようになりました。
 すいかつらというような草は、元来勁い草とは申せません。もしもひよわい枝にまつわれば、その枝の折れるにつれて泥にまみれもしたかもしれません。この樫の根に運ばれた不思議によってこの蔓草は、今やその草とも思われなく房々と大きやかに成長して、蔓の力もあなどりがたくなりました。
 雲脚が迅くなって、黒い雲が地平線に現れるとき、樫は迫った自然の恐怖的愛撫を予感して、枝々をふるい、幾百千の葉をさやがせて、嵐に向う身づくろいをいたします。そのときすいかつらも自身の葉をそよがせ、一層しっかりと蔓をからみ、樫と自分がもとは二もとの根から生れたものであったことをも忘れ、もしも雷霆が一つの枝を折るならば、蔓のからみでそれを支えようと向い立ちます。その気負い立ちを、樫は自身の皮膚に感じます。そして太い枝の撓みのかげにすいかつらをかばって、むしろかよわいその恋着の草を庇護いたしますが、気の立ったすいかつらは、自分こそ、その樫があるからこそそうやっていられるのだということを気づかないのよ。しきりに葉をそよがせて力みます。樫にはそれが気持よく、すこしこそばゆくもあるのです。ですから、よくよく気をつけて嵐の前の樫をみると、風につれてリズミカルに葉うらをかえす合間に、時々急にむせるように、瞬くように、全身を小波立たせることがあるでしょう。あれは樫の笑いよ。するとね、すいかつらはいかにもうれしくてたまらないように、わきにいる小さい苔に囁きます。ほら、笑ったでしょう、樫が。あれで結構よ。樫の勇気はあのひと笑いで、すっかり定着して、ゆとりが出来て、益※[#二の字点、1−2−22]立派に発揮されるのよ。さあ、もう私たちはおとなしくね。そして、蔓に力をこめて絡みつつしずまります。どんな嵐にもふきはがされないだけぴったりと。すいかつらが、分相応の智慧にもめぐまれているというのは自然の恩恵と申すべきでしょうと思います。
 わたしのほめ歌は、ざっと以上の通りよ。さて、これをどんな長歌につくれるでしょう。なかなかむずかしい芸当です。こうして話すしかわたしは能なしらしゅうございます。樫とすいかつらの万歳を祝してこのおはなしはこれでおしまい。
 きょう(十八日)夜着届けました。きのうは咲枝も多賀ちゃんも十七日に届くように、と小包を送ってくれて、咲からはあなたへ草履、多賀ちゃんからは冬の羽織の縫い上ったのに、こまごまといりこや橙の青々ときれいなのや、お母さんからの豆などよこしてくれました。繁治さんと夕飯をたべ、夜も愉快にすごしました。栄さんは移動劇団と一緒に四国旅行ですって。世田ヶ谷はおつとめ。こっち方面は月末か来月に一たて別にゆっくりいたします。光から郵便小包出ないらしいのよ。鉄道便でくれました。こちらからは小包行きますが、島田と多賀ちゃんにおついでの折お礼を、ね。栄さんたちもおよろこびに草履くれました。うれしいわ。二足のうち、どちらかは役に立ちましょうから。もう、もとのは半分こわれたでしょう? はじめっからあやし気だったのですものね。
 十月十日のお手紙ありがとう。風に散る第二巻の、あの荒廃時代の描写は本当におっしゃる通りです。時間をとびこしたリアリティーを感じつつよみました。そういう意味では随分参考にもなりましたし、ああいう南部の女性たちが、ともかくああいうひどい立場に陥ったとき馬一匹をも御せるということについて新たに考えました。わたしたちのところには馬もいないわ。従って御せもしないわ。第二巻は、描写もひきしまっているし、作者のテンペラメントとよくつり合ったところと見えて、なかなか大したものです。第三巻と言行録の七、八、お送りいたします。第三巻をおよみになったら
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