薬やを歩きますが、薬がありません。ヴィタミン剤はいかがわしいのまで、おそろしく氾濫いたしましたが、三四種に統合され、三共が一手でこしらえ、そして其は主として軍納品となる由。咲があっちで何か手に入るらしく申しますからたのみましょう。それまでに、何かほしいと思います。すこしおまち下さい。
 おなかも、突然高くのぼる発熱がなければ、随分ましとのことです。けれ共、実に型が多様のものだそうで臨床家には、試験《テスト》ものですって。どうぞどうぞお大事に。お願いいたします。
 寿は、やっと千葉に家をきめ、二十八日にトラックの手配まで、全部一人でやりました。あのひとも去年十二月からは一転して一人で万端とり計らう生活となり、苦労もいたしました。その家がね、つい近くに飛行場が出来るので、やがてはとりこわしとなるそうで、又別の家の話をまとめに上京の由、さきほど電話でした。こういう風ね、そこと思って、苦心の末見つけると一、二ヵ月で周囲の状況一変いたします。苦心の目的がふい[#「ふい」に傍点]となります。すこし遠いところの家というのもそれでね。
 八月に入ると、ここに本式のコンクリートの防空壕に着手いたします。それはいいわ。おそすぎました。間に合うかどうかの境です。しかし問題は寧ろ、口の方です。前便で申しあげました通り。一日一日とこのことが痛切となり、体力と経済力とのかけっこの露骨さが感じられて来て居ります。殆ど自然状態の生存競争に、最も高度な経済事情が人為的に加っていて、おそるべきものです。明白に恐怖という字がつかえます。ですから、家のこと=住むところの問題は、全く遊牧民的条件で決しなくてはならなくて、決して、近代的の交通問題によりません。面白いというか、すばらしいというか。大したものね。家畜は牧草のあるところへと目ざさなくてはなりません。人間の踏破[#「踏破」に傍点]の様々の形態を思いやります。世界中が現在は、最も近代的な速力によっての踏破と並行に、最も原始的踏破を行っているというわけね。めいめいの足の寸法での。実に様々の流れがあるわけです。鉄の流れ(セラフィモヴィッチの詩小説)のみならず。騒然と、しかし着実に歴史が移りつつあるというのは実感です。
 前の手紙に申しあげたようなわけで、わたし一人だけでどこかに家をもつ――部屋をかりるということは殆ど不可能です。今はどこも、いいツルをもっている人に一室でもかしたがります。工場へつとめていて、カンづめをもって来るとか、布地が来るとか。ね。気風わかるでしょう? そういう慾ぬきで、わたしと一緒に暮してよいと思うひとのところへは、ほかの事情で暮せないのよ。笑えぬ滑稽ですね。だからわたしはいや応なし姉さんとしてくっついていなければ不便です。永続的持久法として。国が九月にはすっかり事務所を閉じて開成山へ行くと申して居ます。こっち誰か留守番を置いて。わたしはその人たちと暮すようになるのでしょうか、それとも開成山に行って、そこからこっちへ十日に一度ずつも出て来るようになるのでしょうか。今のところ自分で見当がつきません。そういう目安を自分で見つける為にも、今のうち一寸行って見るのはいいと思います。七月三十日か三十一日に立つつもりで居りましたら、何だか急に二十五日にでもなりそうよ。それというのは、寿が荷物をとりまとめのために、二十五日からトラックの来る二十八日迄ここの家にいて働きます。それはそうでしょう。国は、一つ家にどうやっていられるか分らない由、いやで。声をきき、顔を見、働く気配が。咲は、予定では二十六日にかえる筈でした。咲に云うのよ。わたしは、いい加減がまんするけれ共、寿と国とが、そういう状態でいる間にはさまって、両方へ気をつかって、寿は寿、国は国で食事するなんていうのに奉仕は出来ない、と。国が二十五日にくり合わされれば、わたしは国と開成山へ行き、寿の引越しは咲がいてやればいいでしょう。国は、わたしが寿に何でももたしてやってしまうと心配かもしれないから。わたしと咲が東京にいたのでは国、ぞっとしないし、開成山へ行けない由。あっちで女中と子供のところへとびこんで、どうしていいか分らない由。大人の男にもこんなのがあるのよ。きのうから国府津へ二人で行っていて、家の最後的片づけをやって居ります。その合間に、グテグテ相談して、きめるのです。今夜かえると決定がわかるという次第です。それによっては、二十五日に行くということになりかねないのですが、どうなることか。結局咲をつれて行ってしまうのかもしれないわ。さもなければ、急にあしたお目にかかりに行ってバタつき開始ということになってしまいます。自分が行くなら、もって行きたい荷物だってあるわ、いやね。歯の治療は今日が最終で、四月下旬以来の行事が終り、一安心いたしました。下の方の古いブリッジを直し、上のむし食いを直し、外からは一向どこをそれ丈苦心したのか分りません。金のどうやらやりくれる最後の由でした。
 この歯の先生が、元は絵をやろうとして(日本画)美校に入ったのですって。絵で食えるかと親父憤って金をよこさないので、一番血なまぐさくない、家にいられる歯をやりはじめたとのことです。平和を愛し、野心をもたない人です。この間、北九州のとき、丁度約束の日で行ったら、すこし顔つきと身ごなしがちがっているの。亢奮があらわれています、白髪の顔に。こちらはもんぺの膝をそろえて椅子にのり、先生はいつもとちがったテキパキさで道具をとって治療にかかりました。そのときちょっと口のところに指がふれました。その指が非常に冷たくなっていました。いつもは暖い、顔にちょっとふれて感じない老齢の指先なのに。国民にとっての歴史的な局面感が、こういう鋭い、小さい、活々とした感覚に集約されて表現された、ということは何と印象深かったでしょう。小説はここに在る、と思ったことです。おそらく一生忘れられないわね。思い出というものは、こんなちいさいしかも決して忘れることのない粒々によって貫かれたイルミネーションのようなものなのね。いろいろな色どりがあります。そして、一つがふっと光ると、次から次へと、灯がのびてゆくのね。
 きのうは、あの夕立と雹の嵐を見ながら十年の夏を思い出して居りました。ゴミゴミしてくさいところにいて、疲れのため、遠い夏空に立っている梧桐の青い筈の葉が黒く見えていました。同じような夕立のふった午後、わたしは打たれて膨れた頬っぺたを抑えて、雨と雹との眺めを見て居りました。それからとんで、わたしは何を思い出したとお思いになって? 可愛い仕合わせな汗もたちのことを思い出しました。
 みんな薄赤いその汗もは、仕合わせものたちで、パフに白い粉をつけたのを、不器用らしい器用さで、パタパタとつけられました。
 そして次には、水遊びを思い出しました。爽快きわまりないウォータ・シュート遊びを。玉なす汗を流しながら、好ちゃんは、何と強靭に、優雅に、飛躍したでしょう。夏の音楽は酔うように響いて居りました。よろこびの旗はひらめいて。
 段々雨がおさまって樹のしずくの音が聴えるようになったとき、一つの詩の断片が思い浮びました。われは一はりの弓、というのよ。われは一はりの弓。草かげにありて幾とき。猟人よ、雄々しい猟人よ、矢をつがへよ。われは ひとはりのあづさ弓、矢をつがへよ。斑紋《ふもん》美しき鷹の羽の箭《そや》をつがへば、よろこびにわが弦は鳴らん、猟人よ。
 白い藤をくれた古田中さんの 孝子の俤 というのが出来上りました。お目にかけます。あなたは孝子夫人にお会いになる折がありませんでしたが、写真を御覧になったら、きっと西村の系統のふっくりさをお見出しになるでしょう。母の若かった頃お孝さんに似て居りました。白藤の感想おきかせ下さい。今よみかえしてみると、体のまだ弱いところが分る筆致なように思われますが。このお孝さんの思い出と、母の『葭の蔭』の中の幼時の思い出と、くみ合わして編輯すると、明治というものの香が高く面白いでしょう。西村の向島の「靴場」[自注10]が、母の方の西村のそばで、この靴場の炊事場で小さい女の子の母が、沢庵のしっぽをしゃぶって遊んだりしたのですって。高見さんの文章の銅像は、こわして先頃献奉になりました。では又ね。これからは今までより手紙かく時間が出来てうれしゅうございます。

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[自注10]西村の向島の「靴場」――百合子の母の叔父にあたる人が靴工場を経営していた。
[#ここで字下げ終わり]

 七月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 七月二十四日
 十九日出のお手紙けさ頂きました。ありがとうね。このお手紙は、もう一二度ありがとうね、をくり返したいように、いろいろなたのしさ、面白さ、明るさの響がこもって居ります。手にもって振ると、そこから心のなぐさめられる音が珊々として来そうね。そして、大人にも、ときにはお握り(赤ちゃんが握って振って音であそぶおもちゃ)が、何とうれしいだろうと感じました。ましてやその響は天と地と星々に及ぶ詩の予告なのですものね。万葉の詩人たちは、素朴さと偽りなさにおいて匹敵いたしましょうが、叡智的観照については、時代のあらそわれない光彩が加って居ります。藤村の詩の中に、こんな句がなかったかしら「何にたとへんこの思ひ。生けるいのちのいとしさよ」と。
 きょうは珍しいことでしょう、こうやって手紙を拝見してすぐそこで返事書き出せるというのは。幾ヵ月ぶりかのことね。そして、これは私の生活のリズムの自然さですから、うれしいわ。クマさんもありがたいことです。今あっちの縁側で鋏鳴らして掛布団のほごしをやっているから、なおのこと空気が調和していて。
 ふとん類についてわたしがどんなにクヨクヨ思いなやんでいるかお察しがつくでしょうか。只今世間に綿はないのよ。ふとん側の布地も買えません。今のを大切に使うので、それはいいが、どこへないないちゃんちゃん、としておいたら、無事に秋あなたをくるむことが出来るのかと、それについての思案でとつおいつです。何しろ八月と九月殆ど一杯という時間にはさまっていて、それは只ものでない時間ですもの。縫うことは早くしておかなければだめよ。だってクマさん、ちょいと自信ありげに口を尖らして、ああやって鋏鳴らしているのも、つまりは天から降って来るのが雹どまりのうちですからね。熱いこわいものが一度落ちたら、さっさとトランクもって桐生へかえってしまうでしょう。ですから早く縫う必要があるのよ。そして出来たらどこにおきましょうね。せめて鷺の宮? ここは駄目よ。都外へ出しては、輸送が全く大したことになってしまうでしょうしね。開成山へ送ろうかと思って居りましたがどうかしら。御考えおしらせ下さい。
 それから草履の件。何となく笑ってしまいました。だって。そちらへ送ってよい、という場合は、いつも、何によらず入手困難の結果でしょう。もう大体世間にそんなものはない、という時なのよ。すべてがそうよ。草履というもの、男の草履、麻うら[#「麻うら」に傍点]という風なものは、既に辞典ものです。カステーラとともに。たまにあるのは、ひどい、すぐ緒の切れる代用品です、それも参考のためよいかもしれないけれど、お気の毒です。わたしが、そちら用に買ってもっているのはどうでしょうね。緒に一本細い赤が入っているが。さもなければ昔、あなたが足をお挫きになったとき一寸はいていらしたのは? ああいうのは、本当の草履は、勿体ないかしら? 素足でじき黒くなってしまうしね。又キョロキョロして歩いて見ましょう。犬も歩けば、かもしれないから。女の下駄というものもないのよ。田舎にたのんでもないものとなりました。名将言行録はもう、腸の本と一緒にお送りいたしました。風に散りぬ、は手に入ったらお送りいたしましょう。怒りの葡萄下巻も、もしかしたらあるのよ。たのしみです。借りものですが。
 隆ちゃんからのたよりよかったことね。あの言い表しかた「天地の回転は」というの、よく兄さんに似たところがあります。何というか、その回転の大き
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