しい、と。咲は、きっとわたしも変ったとお思いになったでしょうね、と云って居りました。いかがでした? この前泰子をだっこしてお会いしたきりでしょう? 四五年は少くとも経って居ります。咲は一つ年下よ。月末までいて帰ります。
岩本の娘さんの一人が戸畑へお嫁に行っていたのではなかったでしょうか。あすこは鋳鉄で日本一なのですってね。どうしているでしょうね、小さい町は五機ぐらいで十分なものらしいのね。野原へハガキ出して見ましょう。
六月十三日は母の十年でした。十二日に寿が出て、十三日は何年ぶりかで落付いて二人で墓詣りいたしました。寿と二人で、せめて墓参ぐらいしてやらなくては、全く親に申しわけないと思ったわ。それから、はじめて根岸の春江(咲の姉)のところへ廻って、明治初年の浅井忠の画室を外から見て(構えうちにあるの、初期の洋画家はああいう茶室風の画室に住んだのね、いかにも天心がああいう道服を着ていた時代らしい作りです。杉皮ばりだったりして、羽目が)ゆっくりして家へかえり、今日はよかったと話していたら、森長さんの電話で、わたしは眼光忽ち変ってしまいました。
寿は国のかえる日までいて、実によく手伝ってくれました。寿もその間には、ふっくりした表情になって、この三四年来になかった心持のよい日を送り、あとどんな嵐が来ようと、つまりようございました。わたしは寿がつくづく可哀想よ。わたしは弱いものいじめをする人間は大嫌いよ。互格でないけんかを売るような根性は、ふつふついやです。そしてこの腹立ちは清潔よ。人間が人間らしくあるよりどころです。寿は鍛練が不足だし、性格のよわさもあって、自主的な善意。何しろ寿は心にかかることです。〔中略〕
国は退去命令が出そうな事態になったらそれ前に田舎へ行くそうです。何も彼も放ぽり出して。話しだけにしろそうなの。わたしはそういう風に行動する気になれないから、家をもっとしゃんと腰の据った態勢に整理して、小堅く確信をもってやりとうございます。
この間、咲が台所で鍋を洗いながらね、「ねえ、あっこおばちゃん、どうしたらいいんだろう。一生が又もう一遍やり直せるものならいいんだけれど、そうでないんだもの、ねえ」と述懐してわたしを言葉なからしめました。国は咲が一面大事なのに嘘いつわりはないのよ。
世界はこんなに大きく歴史が轟いて推移して居り、その波は日夜この生活にさしているのに、意識した関心事といったら、けちなけちな一身の欲望、どんなにして尻尾を出すまいとか、口実をみつけようとかいうのだというのは、何と不思議でしょう。世相にけずられ、追いこまれて、小さく小さく、下らなく下らなくとなります。
さて、そちらで待ち待ちガンサーよみ終りました。パレスチナのユダヤ殖民地をめぐって、アラビア人とユダヤ人とのいきさつなど今まで知らなかったことも学びました。「アラビアのローレンス」を思い出して、イギリスがアラビア人をおだてて独立[#「独立」に傍点]をさせ、ユダヤ人の科学発明がうれしくてパレスチナの殖民案を通し、しかし伝統的なアラビア人とユダヤ人との流血的対立を排除するどんな実力ももたない点、両刃の剣風に双方をかみ合わせる点、ローレンスが自分の国の政策を見とおさず、アラビア人のため努力して幻滅したりするところ、興味をもちました。伝記などというものは、その関係からかかれなくては、一尾の魚の丸の姿は出ませんね。そして自叙伝などというものの新しい価値は、そういう時代と個人との千変万化なるからみ合いの角度を明瞭にしてかかれなくては仕方のないものなのね。自伝をかくとき、ひとは少くとも自分の生涯の世俗からみれば愚かしい迄の高貴さ、或は聰明とかぬけ目ないとか評価されとおしたことのかげにある穴あらば入りもしたい通俗さを、自分で知っていなければなりますまい。さもなければ、古い型の自伝なんかもうゲーテとルソウとオウガスチヌスとで十分ですもの。
太郎の少年らしいよさ、満々です。来ていたときに、朝顔の種蒔こうというのよ、どこへ蒔こうというの。だから、あすことあすこがいいねと云っていて、忘れてしまい、この間警報解除の後、庭へ出て菜をとろうとしたら、マア、出ているのよ、芽が。云ったところに。じゃああっちにも出たかしらとみると出ているの。蒔いたよとも云わず、ちゃんと云ったところに蒔いて行ったのね。何と爽やかなやりかたでしょう、いいわねえ。うれしくてまわりの雑草をむしりました。雑草の中へ平気でかためて蒔いて行ったのよ。そういう自然を信じたやりかたもいい気もちです。鳥のようで。
では明日ね。おなかがましであるように。今にさっぱりした浴衣おきせ出来ます。
七月五日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
七月五日
七月と日づけを書き、ぼんやりした愕きを感じます、もう七月とは、と。今年の早さは、早さというよりも遽しさであると思われます。時の迅さに、人間の足幅が追いつかず、工合わるくエスカレーターに乗りでもしたように、とかく重心がのこって、足をさらわれ勝の生活ね。去年の七月初旬は、まだやっとのろのろ歩き、妙な出勤をやっていて疲労し切って居りました。ことしは、其でもこうやってモンペはいて、警報の準備もし、にしん[#「にしん」に傍点]を煮ている間に手紙もかきます。
おなか、いかがでしょうか。なかなかどこでも困ります。今鳩ぽっぽと共同食料のように豆入り飯ですが、こまるのは、消化がよくないという外に、くされやすく、今のように一晩経なければならないと、涼しくしておいても「ひる」はピンチになってしまいます。堅固なパンでも欲しいことね、近代武器に対処するにふさわしいような。呉々お大事に。シャボン、使いかけですが御免なさい。唯一の貴重品でした。夏のあつさ考え、なしでおすましになることはよくないと思って居りました。これからも仰云って下さい。何とかします。あなたを、丈夫な大事ないい布地と思いなして、浴用がなければ洗濯シャボンさし上げましょう。まなじっかの化粧用[#「化粧用」に傍点]より万一、もとのがあれば、その方が本来の性質と用途に添ったものですから。シャボンよ、シャボン、こまかい泡をきれいに立てて疲れをそっくりもって行け、よ。
きのうお話した森長さんからのことづて。全く全く、というところですね。あの人がああというのではなく、誰も彼も。そして、こうも思いました。わたしが小説をかくということは、これでどうして大したことなのだ、と。テーマのない小説というものはないでしょう(かりにも小説と云えるものであるなら)テーマはいつも核をもっています。其こそ大事で、万事のうちにテーマとその核とを把握するということ、直感的に把握するということ、更に其を科学的探究で整理し、核がもつ本質を明瞭にしてゆこうとする情熱をもっていること、これは芸術的[#「芸術的」に傍点]と云うべきなのね。人生そのものへのくい入りかたの意味で、まさに芸術的なのね。
一本人生のテーマが通っていて、それを生涯を通じて完成してゆこうとする人生態度の芸術性こそ、トルストイの知らなかった人生派の芸術だと面白く思います。芸術のきわまるところ、即ち生活そのものの創造的意義だということは実に面白いわ。シーザーは、いろんな占いをやって、おっしゃるように勇邁に其を解釈したのでしょうが、そういう占は見えなかったのかしら。シーザーなんかについて余り存じませず、しかしこれ丈は記憶にのこっています。シーザーは細君をいましめて、「シーザーの妻は、あらゆるときにシーザーの妻として振舞わなければならない」と申しました由。これは当時横行したワイロについて、それを受領するな、ということだったのよ。プルタークはかいて居りませんか? ナポレオンは気の毒な良人で、ジョセフィーヌには、えらい思いさせられつづけたのですって。例のフーシェね、ああいう奴やナポレオンの弟の不平組と徒党をくんで、偉大な人の苦痛や面目の傷けられることばかりやったのですって。人間の心の中に、そういう試みる悪意があるのね。神を試みる勿れ、とは苦労人の言葉です。ユダだって、人類的恥辱の裡にありますが、裏切りが面白いより、ひっくりかえしてみて、猶イエスは本当に死なない命をもっているのか、それを見たかった悪魔ね。近代人が、フーシェはじめポベドノスツェフの流の破廉恥を常習とするのは、いくらか違って、悲劇とすれば、アーサー王伝説中のゴネリアの物語みたいなものね。シェクスピアはそれからリア王をかき、コルデリアを描いたようなもので。もと[#「もと」に傍点]ね。プルタークについてはほんとうにそうだと思いました。人生経験というものは大したものね。そして、そういうものが読者に加るにつれて、一層味い深く読まれるというところに、作家というものの意味のふかさがあり、勉強のしどころがあります。大人の文学、というものは、房雄先生の定義するところより遙か遠い、質のちがったものです。俗人らしい厚顔さをますことではないわ。俗説をあれこれかき集めるのでもないわ。こうやって、暮していて、猶々仕事とは何か、ということについて会得いたします、そして、新鮮な情熱を覚えます。自分の人生が要約されてあることに歓喜を覚えます。仕事と妻の心と、主流は綯い合わされた只一筋のそれだけだというところは何と愉快でしょうね。この要約の豊富性については、よく表現しつくせない位のものね。芭蕉は一笠の境界ということを理想にしましたが、現代史の波瀾重畳の間で、よく要約された人生の道具をもって生きられるとしたらそれこそ人間万歳です。
その至宝のような単純さ、明瞭さの殆ど古典的な美しさの中に、鏤ばめられて燦く明月の詩や泉の二重唱の雄渾なリズムは、どう云ったら、それを語りつくしたい自分が堪能するでしょう。こういうおどろくべき単純さと複雑さとの調和が、可能なのが、何かの意味で日本的だというのならば、日本の世界的な水準というものも納得されるようです。
すこしきりつめた云いかたをすれば、現在のように今夜の自分の生命について信じず、ましてや数ヵ月後の其について信じず、しかも人間の未来の輝やかしさについて益※[#二の字点、1−2−22]深く信じるこころをもって、こうやって書いていると、いのちへの愛が凝集して叫びたくなるようね。
こういう感動の鮮やかな深さは、もしかしたら、今度は神経の負担が少いからかもしれません。珍しく国が居ります、そして珍しく本気で協力して居ります。わたしはうれしいの。わたしが余りよろこぶものだから国もうれしいところがあるらしくて、さきほど事務所へ出かけるとき「じゃ、なるたけ早くかえりますから。我慢していてね」と云って出て行きました。こんな言葉は、やさしい言葉よ。ね、だのに、この人ったら、浴衣の汗の口なんですもの、風向き一転するや、忽ち端倪すべからざる変化を示します。
わたしのような人間には、信じないで信じている、というような芸当はむずかしいのに。姉弟ですからどうにかもってはゆくけれども。
暗くならないうちに御飯たいておかないといけないのよ。ですからここまで。あしたもきっと書けそうね、今夜無事ならば。ゆうべ安眠出来たということのかげに、犠牲の大さを感じて粛然たるものがあります。ではね。
七月九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
七月五日 つづき
夕飯を一人ですますことになったので、それに警報も解除となり明るくしてもいいのでお話をつづけます。
先ず、「鰊のやきもち」という話をいたします。さっき七輪に鍋をかけて、にしんを煮かけつつあっちの手紙をかいて居りました。間で決して放念していたわけではなく、この北の海でとられて、身をかかれて、かためられたのを又ぬか水に漬けられ、甘く辛くと煮られる魚の身の上を思い、折々みてやっていたのに、どうでしょう。いつの間にかわたしが書く方に熱中したとみる間に、じりじりに身をこがして、行ってみたときには、おつゆがからからであやうく苦くひりついてしまうところでした。マアどうでしょう、とひとり言
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