しょう。
二十八日
こんにちは。ちっともお早うではございません、もう十二時五分前よ。勿論只今御起床というのではなくて、きのう咲が立つので大乱脈のままになっていた台所を一時間ほどまとめて働き、その前に小鳥の世話、犬の御飯、胡瓜とニラの芽の見物をしたわけです。
いつもこうなのよ、咲が来ると実にゴタつき、帰って国がいなくなると、私は長大息をついて次の朝なかなか腰があがりません。可笑しいのね、主婦が帰れば却ってよく片づいて単純になりそうなものなのに、決してそうゆきません。国はわたしとの暮しではいろいろ辛棒して書生っぽにしているから、愛妻御帰館で、気持の要求がぐっと殖えるのでしょうね、食事にしろね。それに咲の来ている気分にしろ、察しのつくところもあるわけでしょう、だから何だかごたごたになってしまうのよ。わたしだったら、と思うから、ごたつきについては敬意を表しておくの。だって、そうでしょう? 眼が一つのものからはなれやしないでしょうと思います。オヤ、見なくては。おひると朝けんたいの、メリケンコの妙なものをやいているのよ、ストーヴのところのガスで。こうやって書き乍らやくと急がないから、きっとよく出来るでしょう、どれ、どれ。
成程成功よ、大いにふくらんで狐色になりました。これは、その昔ホットケークと呼ばれたものの同族ですが、牛乳ナシ、玉子ナシ、バタナシ。ナシナシづくしのふくらし粉一点ばりのやきものです、さとうナシですしね。でもふくらめばいいわ、にちゃつかないから。
鏡で見たところ、きょうの頬っぺたは、きのうより幾分ましになりました。きのうかえりに見たら、まだ洗ったり薬つけたりしなくてはならない由です。どうしようかと考え中です。抜いたところ二本ブリッジになります、そのために一番奥のいい歯の神経をぬいたりけずったりしなくてはならないの。金をかぶせたところで、又いたんで、又その歯をぬくなんてやりきれないと思います。そのギイギイ仕事の最中に、一ヵ月以上かかりますから、ドカンドカン来て、歯は放っておけない、にもかかわらず御入院なんていうのは閉口よ、十中八九までは、そうなりそうです。そうなると思って万端やることにいたしました。咲もいず、(役に立たないけれ共)寿もいず。歯まで心配の種ではやり切れないから、もしかしたら秋ぐらいまでこのまま歯かけでいようかと思います、こんなこと迄相談されては、と笑止でしょう? でも、マア。相談というのでもないけれど。
ここまで書いたら電話のベルが鳴りました。寿。長者町に、やっと永住出来そうな家がありそうになったら、別の借手が現れて怪しくなったので、九段の家主まで来た由です。お米が足りなくてキャベジたべて、気分わるい程とのことです、どこも同じね。弁当にお握りをもって来て、寿は其をたべ、わたしはパフパフをたべ。ホットケークの悲しき同族は、たべるときまことに空気が多くて、パフパフいうようだから、わたし一流の名づけ術で、パフパフと申します。名だけきくと美味しそうだと大笑いです。
四方山《よもやま》の話をして六時頃寿引上げかけたら、酒やで福神漬を売るから月番よろしくとのことで、わたしは日のかげったときゆっくり畑いじりしてみようと思っていたのに、其ではと大鍋をもって寿送りかたがた出かけました。団子坂上なのよ。行ったら各戸なのだって。組長の女中さん、時刻が時刻なのでちょいとよろしく計らったのね、それが通用せず、というわけだったのでしょう。
帰ってから、寿サービスの片づけをして、自分の夕飯たべたら、又もうこんな時間。九時です。明朝の御飯は今晩炊きましょうという二十八日ですから、今炊いて居ります。夜あけに起きて警戒しましょう、というのはどういうことをするのでしょうね
きのうは朝公共防空壕の修繕を隣組でやりました、国がオバーオール着て、鉢巻きして出ました。わたしは台所するとき、薄緑の布で髪をつつむのが好きで、これは灰で髪をよごさない実効がありますが、鉢巻は気分ものね、てっぺんの薄いところもまる出しだし、まさか頭の鉢が、あの手拭一本でしまるほど、それほどたががゆるんでも居りますまい。国は身なりも極端ね、この間は咲の迎に、ハッピ着てゆきました。「目黒のさんま」(落語)のくちね、殿様の御微行は、いつも下賤におなりです。実直な働く人々が、自分の身分に謙遜して、ちゃんとしてなくては失礼と思う反対ね。
きょうの二人遊びは、右のようなわけで肝心の午後が潰れてしまって、まことに残念でした。先週は国ずっといて、咲が来て大バタバタだったから、今日はほんとに待ちかねていたのに。でも、寿はよろこんで休んで帰ったから、あなたも計らぬ功徳をおほどこしになったわけです。寿も一人きりの生活は、食事の一人のことなどつまらないようです。あのひとも十二月から大変だったわけで、いろいろこまかいことで、可哀そうだと思うし、大局的に寿はそれで世間並のことを覚え、生活力も身につけるのです。よく変れる側が、人間学から云って大いなる利益を蒙って居ります。
この間うち、『スペイン文化史概観』という仏人のかいた(一九三七)ものですが、よんでいて、昨夜[#「昨夜」は底本では「作夜」]よみ終り、いろいろ深く感じました。これはスペインの一九三五年までの新しい希望とその実現の時代に及び、一九三五年以降の混乱によって再びその美しい向上の試みがこわされる頃までを、統一(中世の終)から書いたものです。小冊子で、不充分だけれ共、わたし達が所謂スペイン風として異国趣味で誇張して珍しがっているすべてが、スペインにとっては誇よりは寧ろ悲劇であるということを知って慙愧を感じます。日本について、大部分の外国人の評価が、赤面ものであるように、スペインにとって、世界の人々がもつ興味の角度は、心ある精神に、名状出来ない思いを抱かせるでしょう。しかし、日本文学の代表を、いつも万葉と源氏において、恥しさを感じない人があるように、レオナルドを今日もあげるしかない貧弱さを感じるイタリー人が少いように、スペインにもそういう感じの人々が十分どっさりいないために、文化のそういう無力さのために、あの国の悲劇はくりかえされるのですね。
この小冊子が面白いもう一つは、スペインのジェスイット派(ロヨラの派)が、どんな暗い情熱で専横を極めたかということ、一般にキリスト教が、スペインではスペインを興隆させず第三流国に堕すに活溌な作用を与えた点です。信長の時代日本に渡来したジェスイットは、西欧の宗教改革によって失った地盤を求めるためと、黄金探求の慾望と二つから来たのですが、スペインのキリスト教は、スペインがムーア人に支配され、それを奪いかえすために一役買ったキリスト教徒のおかげで、僧院だらけ、坊主政治おそろしい始末になって、今日の貧乏と無智と当途ない情熱のために、短刀さわぎをおこす情熱的[#「情熱的」に傍点]民族となってしまったのであったのね。
わたしはふるくから日本における切支丹文化に興味をもち、芥川の「きりしとほろ」とはちがったものを直覚していたのですが、当がなくて来ました。この小冊子は何かどっさりのヒントを与えるようです。キリシタン文化については、いつも新村出や幸田成友や、考証家歴史家さもなければ信者によって語られて来ましたが、それでは決して十分でないわ。
ムーア人の回教徒との接触を経験したジェスイットが、日本も東洋[#「東洋」に傍点]であるからと思ってふれて来たとき、そこには随分ムーアの回教徒とちがった要素があったでしょう、信長がそれを許し又禁止し、秀吉がゆるし又禁止した時代の起伏は、極めて興味があります。その頃スペインは、南米で、罪業ふかい血まみれの黄金をかき集めはじめていたのでしょう。
歴史小説というものも、現代のレベルでは、この位のテーマをもつべきですね。「ピョートル大帝」にしろ、オランダの商業を或程度勉強しなくては書けなかったでしょう。現代史が十分かける力量をもって、歴史小説もかかれる筈だと思われます。ジェスイットの坊主の中にも、本当に宗教に献身した人々があります。こういう卓越した個性と宗団の矛盾、信長の禁圧の当然さと、逆に信仰せざるを得なかった武家時代の貴婦人のこころもちなどのあやは何と人間らしい姿でしょう。面白いことね。
ピョートル大帝と云えばこの前一寸かいたかしら。レフ・トルストイが、ピョートル大帝を書こうとして遂にかけなかった、ということ。「戦争と平和」はかけてもピョートルはかけなかったのね。ピョートルは、ナポレオンの侵入というような巨大な背景の前に、あの夥しい各性格の箇人[#「箇人」に傍点]を描写するにふさわしいテーマではなくて、一面から云えばもっと単純であり、一方から云うと、もっと複雑です。だからレフにはかけなくて、才能の大小を云えばより小なるアレクセイにかけたというところ。作家にとって殆ど落涙を催させる時代というものの力があります。これは同じ名の二人のトルストイの間に横わる時代の絶対のちがいです、秀抜な作家が一時代にしか生きられないということは、何と何と云いつくせない生物的事実でしょうね。死んでも死にきれない事実だと思います。
後輩の中に能才なものを求める、慾得ぬきの心というものは、科学者にしろ芸術家にしろ、真にその仕事の悠久さと人間業蹟としての偉大さを自覚した人々だけのもちものでしょうね、そういうものがチラリと見えたらどんなに可愛いと思い望みをかけるでしょう、科学よりも文学において其は更に茫漠として居ります。科学は研究ノートをそれなり継承出来る部分があります、文学はどうでしょう、未来というものの中に、うちこめて、そこに期待するしかないようです、
こういう風にして、自分[#「自分」に傍点]を益※[#二の字点、1−2−22]捨てて行く心もちから、芸術家や科学者の才能が更新され、若がえるというのは、不思議な面白さね。自分に執しているものは、自分より大きく成長出来なくて、つまりは世俗の成功だの不成功だのという目やすに支配され、とどのつまりは世俗の日記と一緒に歴史のつよく大きい襞の間にまぎれこんでしまいます。山本有三という作家が、主人公に芸術家も科学者も扱い得ず、教師をつかまえるのは雄弁な彼の人生のリミットですね。
六月四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
六月三日 土曜日
きょうは、思いがけないことでわたしの時間が出来ました。国が、急に国府津の家の件で、役所の人とあっちへ出かけ、朝八時四十分で立ちました。けさは六時におきて台所へ出ました。珍しく八時すこし過にひとりになったので、この時と、早速郵便局へ出かけそちらの書留や小包送り出しました。本、一冊しか今手許になくて御免なさい。『療養新道』の方は、多賀ちゃんにきいてやったまま、ついそれなりで。多賀ちゃんも忘れてしまったのね、すぐハガキかきましょう、又。ついでにケプラーお送りしておきました。
きょうは、三時頃に太郎と咲が来ます。太郎は、農繁期休暇二週間のうち、半分だけはお父さんの顔を見て来なさいと云われた由。夏の休みなんか全く当になりませんから、いいでしょう。子供の頃一夏ハダシ暮しして、東京へ帰って来るとき、次第に上野が近づく心持、家へ入って来るときの心持、あれを太郎が味うのだと思うと、面白く、笑ましい気持です。それは非常に新鮮で、人柄や感情を豊富にするし、抑揚を与えるようです。太郎すこしは大まかにゆったりしたかしら。たのしみです。健ちゃんがウマウマと云うようになって、ヨチヨチかけ出すのですって。可愛いこと。実にみたいわ。立つ朝、小鳥のカゴにだきついて(よく見たくて)餌こぼしたって親父がにがり切って、それも忘られませんが。馬糞が草道に落ちていると、太郎がいち早く、健ちゃんこれなアに、ときくんだって。すると、たどたどしい頬っぺの赤い健坊が、ウマウマと云うって大笑いよ。食べるあのウマと馬のウマと同じにこんぐらかって、つづけてウマウマと出てしまうのね、健坊は、陽気で、人なつこくて生れながら愛嬌をもって居ります、どんな
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