自信がありますが。けさもガス屋、巻ゲートルで血相かえて、手に瓦のかけをつかんで犬を追っかけるのよ、憎らしい腹立つ気分も分ります、でも気の毒ね、沁々そう感じました。大丈夫ですよ、と云ったら、息はずまして、うちの人には大丈夫かもしれないが、くわれてからじゃ間に合わないからね、って。人生を感じました、そういう人の。嶮しいものです。
 でも犬がワンワン云うのでおや、誰か来たかと思い、わるくありません。クリと熊はどうして育てましょう!〔中略〕
 太郎が、十一歳頃から少年の後期を田舎の中で過すのは実にようございます。つい先日午後学校からかえって出かけ、夕刻おそくなっても戻らないので心配していたら、ドジョウ二匹獲もので揚々と引上げて来たのですって。〔中略〕
 わたしの二つの肺の悪戦が、あの範囲で終ったのなんか、みんな、早ねすべし、早おきすべし、面会に来るべし、体温はかるべし、べしべしづくしで泣面しながら、大したごま化しもしなかったおかげと、今は心から御礼を申します。あなたがあの位強引にして下さらなかったら、私はきっとジャジャ馬を発揮したでしょうから。わたしのはじぶくり従順というようなところがあるのね、どうして、とかく初めじぶくるのか、可笑しなわたし。
 あの写真はやはり役に立ちます。こんなことが一例で。普通、風呂のとき洗いもの一緒にやるのよ、家庭では。わたしは、それが疲れすぎて、いつも二つ洗うつもりが一つか、一つも出来ないのです。あれをみればそれがあたり前ね。ですから、わたしは風呂と洗濯とは別にするのが自然なのです。二日にわけた仕事として。そうすればちゃんとどちらもやれるのだわ。そういう自分としてのやり方が分って来るのも、働き馴れとともにああいうものが参考になります。わたしはよっぽどありがたく思っているのよ、べしべしづくしの成果に対して。謂わば、わたしの一生を救ったようなものです。

 五月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 五月七日
 きょうもいい天気になりました。今、もうすこし暑くなりかけましたが、種蒔き終ったところ。例の楓のつまみな[#「つまみな」に傍点]のところを耕し直して、少し日かげだから韮の黒い種をまきました、それからおとなりとの境のところへ、ヒマを少々、あれは大きくなるのでしょう?
 一休みしていたらキューキュー仔犬の声がするので、北側あけてみたら、親子二番目の子――熊《クマ》・クリで遊んで居ります、クリは雄らしく、珍しいこと。チンは女権拡張で女ばかり生んでいましたが。クリを寿つれて行くのかしら。
 きょうの宿題はすんだから、予定通り穴のあいたスリ鉢に、つる菜もまきましたから、あとは本よみでいいのよ。あ、まだ一つある。二階の大掃除。これは、疲れるから夕方にしましょう、ねえ。かまやしないわ、わたしたちはここにいて、楓の若葉眺めているのですもの、ここもテーブルの上は紙や帳面やでかなりの有様ではありますが、こういうちらかりには性格があり、生活が現れていて、却って落付けるようなものです。
 こういう暮しをしてみて、段々わかり、この先、もし国が引こして、わたし一人ここのどこかの隅で暮すようになったとして、十分やって行ける自信がつきました。仕事が期限つきである生活の心持と、そうでないとは、こうも違うものでしょうか。その点わたしは例外の生活習慣をもって十八歳から暮して来たのであったと思います。
 一層生活をたのしみます、この調子で見ると、私はもう少し経ったら、本気で仕事はじめて、こういう紙の上だけでない二人遊びの時を十分に、十分にしんからたのしく暮す丈仕事しておかなくてはならないと思います。そして、仕事する生活のためには、こういうのはいけません、却って一人がいいわ。朝おきぬけから、おつき合い[#「おつき合い」に傍点]してはじまるのでは仕事は出来ません。生活のいろいろの形、いろいろの調子を、経験するというのは、大したことね、それは人間しかしないことです、それが自主の判断によってされるのは。
 国は、ああいう人ですから、こうやってやってみて、調子がいいと、それをこちらにかまわずひっぱろうとする傾でね。国府津へ私を行かそうとして力説しますが、其は駄目。何のために私はあすこで暮す必要があるでしょう。汽車の切符は申告、途中二時間半往復、では一日仕事、こっちに泊るところもなくて、どうしてやれるでしょう。もし国が行くなら(経済上の理由、都民税が大したもので、従って公債その他瞠目的です)わたしは蔵前の六畳、四半へだって籠城いたします、そして一人で犬の仔なんかとやるわ、そして仕事して。それも亦たのしいでしょうと思います、こういう暮しが始ってから却って生活は自分のものとなり、のどかさも生じ、どんな小さい形でも不便中の便を見出してやれるようになりました、体もいくらかよくなって来ているのでしょうね、頭が動くところを見ると。こうして、そろそろと焦らないで、仕事が出来るようになるでしょう。
 そう云えばこの間原稿整理していて、祝い日のためにの詩ね、あれをくりかえしよみました、びっくりいたしました。あれは本当に、半ば盲の妻の作品ですね、そのひたすらなところ、思いこんだ調子、確乎さ、立派なところがなくはないが、何と流動性がないでしょう、可哀そうな一心さがあります、健康というものをおそろしく感じました。哀れと思っておよみ下すったのが、今になって自分でわかります、あのときは精一杯でそれは分りませんでしたが。ああいう凝りかたが直ったら、現金ね、わたしはもとの散文家になってしまって、しかし、目出度しです。あの詩はレンブラントの絵のような重い明暗があり、赤い一点の色彩が添えられて居ります。それにしても、本当に何と眼が見えないという感じ、手さぐりの感じ、周囲というもののない感じでしょう。よい記念品だと思います、あんなにわたしは苦しくて、見えなくて、じっと動けなかったのね、可哀想に。
 然し今は、青っぽい筒袖のセルを着て、紺の大前かけかけて、青葉の色よりすこし水色っぽい更紗の布で頭包んで、とにかく小さいシャベルふるって土も掬って居るのですもの、えらい進歩であり、生きる力は大したものだと思います。そう思うにつれ、こうして自分が生き、癒りして来た力はどこから湧いているかと考えざるを得ません、わが命の源《みなもと》は、と、おどろきを新たにいたします、アダムの肋《あばら》から生れたなんて、西洋人も想像力が足りないことね。リルケは、それを疑問の詩をかいて居ります。もし肋なら、こんなに生きて、こんなにあつくて、こんなに欲ばりの生きてとなったイヴをもう二度と横はらへしまってやることなんか出来ず、あわれイヴは、のたれ死によ、ね。横はらを枕にさせてやれるのが精々で。命の源は、一つのいのちのその中に、まるっこで在るのです。だから大変よ。どうちぎることも、便利なようにちょん切ることも出来っこありません。
 もう十一時よ。寿どうしたのでしょう、あの、うらぶれ部屋で工合でもわるくしているのじゃないかしら。
 ワンワン吠えるのでガラスのところから見たら白いブラウスが見えました、まあよかった、待人来るです。
 久しぶりでゆっくりおひるを食べさせて、今そこの椅子で本よんでいます。過労で弱ったのですって。注射していい由。このひとも、東京千葉と、落付かないために、過労にもなるのね、台所で私の動きぶりを見て、びっくりしていました、大した上達だって。けれども、これで又仕事したくなると、例のお笑いになるおったて腰で、旋風的になって来るのです。
 きょうはこれから姉と妹とで、ちょいとした罪悪を犯します、寿が自分用というひとかたならぬ砂糖をもち出して、コトコト煮るものをやって、私にふるまってくれるのですって。御免なさいね。二人遊びの日だから、わたしだけ袂でかくして、あなたに知らせ申さないということが出来ないの。おまけに、私の着ているセルは、筒袖でしかもゴムでくくれて、ニュッと腕が出ているのですもの。
 そんなことをしているうちに夕方になり、夕飯をしてやって寿の里帰り(やぶ入り日)も終りとなるわけです。
 私は、小使帳の整理や日記やあるのよ。二階のテスリに干しておいたネマキが風で落ちているのを見つけましたし。
 きょうはすっかり夏になりました、室内で七十八度あります、あしたあたり又グッと冷えるのでしょうか。
 大観音よこの交番のところを入って動坂の通りへ出たら、あの途中の右手の養源寺に都指定史蹟として、西村茂樹之墓と札が立って居りました。よく通った頃はそんなに、いつもおじいさんの前を通るような気のする札はございませんでしたね。あの通りを、あなたは早くお歩きになったことね、わたしはすこしかけるようについて歩きました。ではね。

 五月十五日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 五月十五日
 今週の二人暮し日は妙な日どりになって、先達てうちのように、土、日とはゆかず、月曜の少しと火曜日ということになりそうです。今週は東京にいて、日曜日の防空演習に出てくれて助りました。たまには、こうして東京にいるのがいいわ、十一日に、開成山に行っている女中さんの一人が一寸来て、今日まで居て、大きい洗濯などして行きました。十六日から月番という当番で、隣組全体に関係するから、すっぽかしがきかず時間的に私一人ではやれないので、咲が十七日頃来るのでしょう。あの組も半月ずつというようなところで、出入りが頻々ね、そして、御本人が手紙見に行くから、面白いものです。この頃はいい身分になったね。どうして? 手紙がたのしみで、さ。ほんとだ。こんな問答けさいたしました。そして、けさは、私の目の前に(そのときわたしは食堂の椅子にかけて、あなたのネマキのつぎを当てていたの)ハイとお手紙出してくれました。おや。一人? うらまれそうだと云ったら、僕にも来てる、自転車がついたって、というような工合でした。わたしのつめてやる弁当をもって只今出かけたところです。
 咲が来て下旬一杯居りましょうが、その間に、家の大半をあけわたすための片づけをやる由です。
 達治さんが折角上京するのに、ガタついて気の毒ですが、それでも妙にせまくるしく暮すようになってからよりはいいだろうから、本月下旬だといいと思って手紙出しました。大体の方針では、今わたしの使っている二階全体と蔵の前の六・四半と、洗面所、便所、湯殿と一かたまりに仕切って、そこで台所も出来るようにして、私と国とが暮し、表側全部を開放することになりましょう。この仕切りかたですと、下の二間で、国咲がまとまれるし、上は私が、私一人で勉強もし、ねることも出来、一寸した一人の食事は出来るし、けじめがあって、ようございます。わたしは、やがては、もっと時間をとって仕事も勉強もしとうございますから。一人のときは主として二階で書生流にやれたら手間も省けてうれしいと思います。疎開の家族は、気が立っていましょうから、受入れる側が普通の家庭の形式を保っていて、夫婦、子供と揃っていたりすると、細君同士、旦那同士の感情がむずかしいでしょう。うちのように、姉弟で、あっさりやっていると、比較してこっちはこんな落付かないのに、あっちは水入らずでのんびりというようなことがなくて。十何年か前、一つ建物の中に人はどんなに暮すか、という共同生活の大典型を見ているから、その欠点も、やりかたもいく分合点していて、それは、こういう生活様式の大変動に当って、少なからず私の自信となって居ります。「井戸端の移動」式にならずにやる確信があります。ただ、電気、ガスなどのメートルが、共同だと、モン着はそこからでしょうね、困ったものね。昔、大銀行だった大建物の廊下に並んだ一つ一つの夥しいドアが、其々一つずつ木箱とケラシンカ(石油コンロ)を並べて、眼路はるか、という風に見えていた都会生活の姿を思いおこします。
 国はいよいよ事務所を閉鎖いたします。それがたのしみで、上機嫌よ。やめるのもいいが、のんびりして、国府津だ、開成山だと廻って暮して、つい二年経ったとい
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