妻は二つの驢馬耳で其を承り、ああ、おしがるには及ばないのだ、と考えました。ところが、それから十三年経ちました。或る日旦那様が、「ドン・キホーテ」をほしがって、ないかないかとせめかけになりましたが、そのとき、日本には紙そのものが欠乏いたしまして、本にさえ「日本紙漉史」という本が出来、芥川賞は「和紙」という小説に与えられるという状況になりました。清少納言が「白い紙」いとめでたしとかいて、中宮から白い紙を頂くと、よろこんで、何を書こうと楽しみ眺めたことも実感で肯ける時代でありました。「ドン・キホーテ」の美しい插画入りの二巻の大部の本の姿が、驢馬耳細君の眼底に髣髴いたしました、そして思いました、今あの本さえあったらば、と。しかし、後悔先に立たずと云った古人はこの場合も正しくて、驢馬耳細君が、十三年経ってくやしがってみたところで、金文字で「ドン・キホーテ」とあった二冊の厚い本は決して決して再び現れることはありませんでした。おそらく驢馬耳の御亭主は余り慾が無さすぎたばかりに、あった方がよい本が、その中にあるかないかもしらべようとしないで売ってしまったのだと思われます。
 ですからね、「ドン・キホー
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