さい作品だと思われるところが、あれの独得な点ではないでしょうか。読者があの作品を興味をもって読むにはよむが、よみ終ったあと、自分にのこされた問題、人生課題というものを感じない。これはあれ丈細部が描写され力づよく彩られているにかかわらず、顕著です。「二十日鼠と人間」、又は、「誰がために鐘は鳴る」、などは、描かれている世界にリアルに案内されるばかりでなく、読者は更に現実の人間悲喜の裡にあって、まだ描かれていない人生の諸局面について、真実の存在について、感覚をよびさまされ、それらについて思いをやるだけの想像力の刺戟をうけます。結局大きい作品というのは、読者に、どれ丈人生の諸真実への関心をさまさせるか、という点にかかっていると思います。大作というものの真の価値は、そこね。
 人間情熱の悲しい浪費(バトラー、スカーレット)を描くところで現代文学の限界はつきているでしょうか。そうではないと思います。ヘミングウェイの例をとってみると、彼は「持てるもの持たざるもの」、という漂流的人間誠意――生きる努力の悲劇を描いた後、「誰がため」まで、ともかく漕ぎ出て居ります。点を甘くしても、現代文学の発足点、ドンと
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