は少くとも自分の生涯の世俗からみれば愚かしい迄の高貴さ、或は聰明とかぬけ目ないとか評価されとおしたことのかげにある穴あらば入りもしたい通俗さを、自分で知っていなければなりますまい。さもなければ、古い型の自伝なんかもうゲーテとルソウとオウガスチヌスとで十分ですもの。
 太郎の少年らしいよさ、満々です。来ていたときに、朝顔の種蒔こうというのよ、どこへ蒔こうというの。だから、あすことあすこがいいねと云っていて、忘れてしまい、この間警報解除の後、庭へ出て菜をとろうとしたら、マア、出ているのよ、芽が。云ったところに。じゃああっちにも出たかしらとみると出ているの。蒔いたよとも云わず、ちゃんと云ったところに蒔いて行ったのね。何と爽やかなやりかたでしょう、いいわねえ。うれしくてまわりの雑草をむしりました。雑草の中へ平気でかためて蒔いて行ったのよ。そういう自然を信じたやりかたもいい気もちです。鳥のようで。
 では明日ね。おなかがましであるように。今にさっぱりした浴衣おきせ出来ます。

 七月五日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 七月五日
 七月と日づけを書き、ぼんやりした愕きを感じま
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