さやっているが、もういいということにいたしました。私はやっと暮しかたも会得したと思うところも出来ました。
わたしの愉しさについて、同感して下すってありがとう。こういう風に、何となし心あたたまる心持は何と微妙でしょうね。私がここでの生活について、サラリと気持をもちかえることが全く自然に可能になったのも何かそういう内奥のモメントが作用していると明瞭に感じます、自分の生活の線、つまり私たちは本当に私たちの生活を生活しているのだ、ということを、改めて私たちのものとして、この中に感じ直したことも、やはり同じ点からだと思います。
こころに及ぼす深さは何と深いでしょう、それは、それ程のことと予想もされなかったと思います。ダイアモンドはどんなに小粒でも石炭でないということなのね。私は殆どありがたく思っているのよ。詩というものが、これでこそ人の心の宝と申せるわけです。そして詩を保つために払われるたくさんの心づかいというものの価値を実に実に感じます。
自分の得ている仕合わせについて感じることは一再でないけれども、又新しくそのよろこびをもってよく体を直し勉強もしましょう。
「九十三年」は終りまで読んで
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