ず、そうなるのではないかしら。国府津は貸すでしょう。段々にそういう準備もいたします。もう少し丈夫になって、神経が調子よくなれバ、わたしも何かすることが出来るでしょうし。この秋までは余り頭や気をつかうのは無理だから。でも考えてみれバ、いいかげん世間の人の倍は此までつかっているわけね。
 ハガキでかいたにくまれ口は、笑いながらにらむ、という程度のものよ。(念のために)
 今は丁度学生が休みになったので、駅は徹夜で行列だそうです。特に遠方は猛烈のよし。じぶくっていたうちに、こんどの話のようなことおこって、何といてよかったでしょう。国は寿の知らないうち、除籍する方法はないかと云った人だから、(この上迷惑を蒙らないための由、寿がどんな迷惑をかけたでしょう、それほどの)うっかりすると、帰って来ようとするとき手紙が来て、姉さんはとりあえず国府津へ転出しておいたから、などということになりかねませんでした。こんなことの虫の知らせとは予想もしませんでしたね。きのうばかりは、あなたもふうむ、ふうむとおうなりになったから、気の毒な蘰《かざらし》のさ百合が凋んだのもうべなりでしょう。
 疲れたようなところだから、十三日のお手紙にある万葉のうた、くりかえしよみ、いい匂いをかおるようです、うたそのもののまじりけのなさ、そして、其が又書かれているということについての動かされるこころもち。いいこころもち。ね。三つとも燦々として居りますね。(後も逢はぬと思へこそ)の歌に浮ぶいくつかの情景もあります。
 そこには、天から芳ばしい紺の匂いが夢のなかにふりかかって来たような朝があります。西日の光に梢のかげがゆらいでいる障子もあります。霧の濃いなかで燃《た》き火の火がボーと大きく見える夜もあります。「うるはしみすれ」というようないい表現を日本人ももっていたのだとおどろきます、心と感覚とが全く一つに発露して居ります。万葉の人々は「昼もかなしけ」と流露して、妹のことばを肯いで(でも追補は書かなかったでしょう)と思ったとき、実に笑えたわ、あの時代の人々は「紫の野ゆきしめの行き」、大してむつかしいことがなかったのね、ですから追補はいらなかったも道理です。追補のいるときは「浅川渉り」会って表現したのですもの。
 あぶらの火の光に見ゆる、一首はまるでその時分の生活全幅が描かれるようです。周囲の夜の暗さの太古的な深さしずけ
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