#「文士」に傍点]とやはりかかれています。二三十人先遣隊となる由。文学に全く関係のないひとが、「つまり救済事業ですね」と新聞を見て申しました。ガンジー夫人七十何歳かで獄中に生活を終りました。極めて感銘のふかいことです。どうであったにしろ、インドの人々にとって正直に生涯を捧げた典型が示されたのです。

 三月二十日夜 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(鶴ヶ岡八幡宮の写真絵はがき)〕

 さきほどすぐ事務所に電話して切符のことをたのみ、どうにかして寝台も買えたら買うようたのみました。しかしあとのは全く当になりません、私人では。お話していたところ[自注7]は中野区鷺の宮二ノ七八六です。特別何もたのまず出かけます。何も彼も用意すると何だか本当に帰れることがなくなるようで気味がわるいから。あなたのお金だけはお送りしておきます、森長さんへ電話します。到頭おやりになる、いやな方。

[#ここから2字下げ]
[自注7]お話していたところ――壺井繁治の家。百合子が顕治の郷里島田へ行くことになり、その留守中のために顕治に知らせておいたもの。
[#ここで字下げ終わり]

 三月二十三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 三月二十三日
 風が荒いけれどもそれも春らしいというような日になりました。今丁字の花が咲き、よく匂って居ります、目白の庭石のよこにおいて来たのも咲いているかしら。
 きのうは、どうもありがとう。余りな話だったので自分では十分耐えたけれども、眠れなくなって。すぐ露見するから大したものね、露見することが大変うれしいと思いました、観破して下さるということが、ね。
 けさは、国府津引上げのため、こちらにいたひとも呼出しで、国の朝飯のことしてやり乍ら、心から感じたのは、こうやって台所で働き、みそ汁をつくり香のものを切るならば、わたしはその人のためにこういうことみんなしたい人があるのに、と。まことにまことに切にそう思いました。そして又思いました。同じ親をもって生れたということは不思議だと。生活の条件の相異でこうもちがうものか、と、氏より育ちをおそろしく思いました。
 今度のことは余りのことだから、わたしとして譲歩いたしません。きっとこうなるのよ、今に。Kは事務所を閉鎖してしまい、自分も開成山へゆき、ここは全然なくするから、私は東京にいるならいるで云々と。来年まで待た
前へ 次へ
全179ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング