リぶりを自分から爆笑する能力のない人は昨今全く大ささくれね。無理もありません。電車の中なんかで、全く女のとおりの睨《にら》みかたをする男をこの頃見かけます。そして何となし愕然とします、怨みがましい睨みようなんてあまり男はやらなかったわ。もとは、もっと自分の力で何事も解決してゆくことができるということを自分で知っていて、そういう睨みかたをしていたと思います。こうしてみると、女くさいあれこれは、自力喪失から生来しているのと見えます。
今、ひとりなのよ。いい心持で、然し眼のまくまくは感じつつ、これを書いて居ります。さっきはあれから護国寺前の本やによりまして、やっと『文春』の十二月号を買い、三浦周行の『法制史下巻』をかい、外山卯三郎の切支丹文化史という本を買いました。三浦さんの本は、上巻は十八年に出ていたらしいのですが、買いそこね。外山さんのものは初期渡来のジェスイストのアカデミー史で、彼等の日本においての様々の経営について知ることが出来るらしい本です。すこしずつ目につくときこっちの本を集めて居ります。何年も前からもっている興味がやはり消えないの、益※[#二の字点、1−2−22]ひろまり深まるようです。封建の確立前夜、まだ群雄割拠が納まらない時(信長)、ジェスイストが来て、その時代の人々の心にあれだけ浸透したのは、何故であったでしょう。貴婦人の傾倒の理由は何であったでしょう。天主教の全にして一なる神の観念が、その時代の人々の精神に響いて行った行きかたは面白いことね、封建のかたまりかかりの時代の底流との照応で。信長は種子島[#「種子島」に傍点]を国内統一に利用し、坊主の勢力削減法としてジェスイストを扱いました。家光の時の島原の乱も、名将言行録の側からみると、又一種の興味がございますね。鼎の重みを問われるテストであったのね徳川にとっては。天草のくずれが日本の陶器の発達に一役買って居ります、生業として刀をすてて陶工となり平戸焼などはじめたのね。ザビエーやその他日本へ渡来した人々の個人としての宗教的情熱、ジェスイスト的激しさ、荒々しさ、そういうものは武家の何ぞというと生死にかかわった生活感情に不似合と思えなかったでしょうし、様式の華やかさ、やかましさも時代の形式尊重に合ったのでしょう。スペインをアラブから解放しつつ、その宗教即政治という堕落でスペインを疲弊させてしまったスペインの
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