さんは、なかなか気風のいいところを見込まれると見えて、スミレヤの店からもっと大観音よりの方に春木屋という鳥やがあります、そこの娘さんを獲得して、尾久の近くに世帯をもって居ります。ごたごたしたところだし、実家に遠いし、来てもいい気があるらしいのです。きのう午後細君をよこすということにしておいたのにウーでおじゃんになってしまいました。きょう来るかしら。若い夫婦きりです、伝八さんは電気やさんで放送局の技術試験にパスし、小僧さんから仕上げたにしてはしっかりものでしょう、さらりとした気質です。わたしは、これで案外遠慮をする方だから、他人が一緒に暮すのも、というところもありますけれども、昨今は不用心と義理(隣組)とで、一人ではやれません。このあたりにさえ小供を手先に使うドロがいるのよ、三段構え位で、やるのですって。子供、不良夫婦、ドロと。うちはいざと云うとき迚も壕へもちこめないから日頃から何かしまっておきますし、私一人で、出かけるときは暖い用意のキモノだの、こうして書く道具の入った袋だの皆壕へしまって出かけるのよ、そしておばあさん、娘、孫息子と三匹の犬に、タノンダゾヨ、と出かけます。心元ない仕儀と申すべきです。ですから、誰か一人はいるものがないと、ね。このあたりは家との比較でみんな無人です、うちは極端ですけれど。これから加速的に不用心になりますものね。錠をきっしりかけて寝ることは危いし、サアのとき。その上このいじらしき三匹のタノンダゾヨが三月までにはいなくならなくてはならないのです、可哀想に。皮がいる由。
 今この組長が一寸よっての話に、追っては、ここのうちも強制疎開ということになりそうです、うちの前に坂がありますでしょう? あすこから大幅の道をつけるのですって。動坂から肴町へ出た道と合するのでしょうか。そうすると、うちは坂の真正面という位ですから家から動坂の方へ何間かの幅にひろくなり、その間の何軒かは、影も形も思い出のよすがさえもなくなってしまおうというわけです。来年の半ばごろ迄に生活はどの位変ることでしょう。大したものね。焼けなくてすめば、そういう次第で、どの道、ここは消えるのでしょう、そう思えば哀れもまさる庭木立です。うちなんかは、もう既に荷厄介にしているのですからあきらめいいとして、先の方についこの間買って移って来たばかりの家があり、そこは国宝の美術品をもっていた人の由
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