うものについて新しい興味を誘われました。生活意欲の表現として理性の代弁者として、憲法というものは、きわめて血の通ったものなのね、決して法律学生の端のメクレ上ったノートに丈ちぢこめられるものではないのね。今頃、とお笑いになるかもしれませんが、理性のありようのあれこれについて、痛切に感じるところがあるだけにあの歴史は面白いわ。生成過程が意識されて築かれたというところは印象につよく刻まれます、子供から発足したのでなくて成人からはじまったというところに。若い大人からはじまったというところに。長くなりましたからこれで。発声練習がすみましたから、又スタスタと暇々に書けます、では、ね。
十二月十九日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
十二月十九日
さあ、きょうから又一人よ。その点はまことに閉口いたしますが、こうして、すきな時に書いていることが出来たりするのは、これ又かけがえなきよろこびです。二十九日に帰って来て二十日いたわけね。昨夜は、徹夜してけさ四時頃出かけました。ずっと平均して働いておけばいいのに、のんべんとして(あのひとのことだから、きっと内心ではちっとも暇はなかったのかもしれませんが)いて、昨夜陶器の始末などやって五時十分かで出かけました。定期便をさけたわけでしょう。もう今頃は、開成山の茶の間で、大チヤホヤの最中よ、きっと。わたしは、昨夜の警報でたださえ眠る時間が狂いましたから、大丈夫となると、先へ床へ入ってしまいました。けさ一寸出る前に起きましたけれど。あの二人はおかしいやりかたの人たちね、四日のときも女中のこと放っぽり出して行ってしまって、泣いてさわいだりするのをわたしが始末しましたし、今度だって留守居のこと、決まらないうちにパーと立って行ってしまって。行ってしまえば其っきりという風に二人ともやるのは、やっぱり似たもの夫婦というのでしょうね、苦笑してしまうわ。
今話のある留守居の人は、肴町の通りにスミレヤという電気やがあるの、気がついていらしたかしら。国が昔から出入りさせていた店です。そこに菅谷君という小僧さんがいてね、一種のペットネームのようにうちでは伝八さんと云っていたの、わたしはそういう名だと思っていたら、本名ではなかったのですって。その伝八さんなる菅谷君が年経るままに中僧となり、片腕となり、徴用となり、今は技術徴用でよそに居ります。伝八
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