遑しさであったとも云えますが、一歩深みを眺めやると、時間に詰めこまれた人間生活の歴史の立体的容積と動きとに又新しく愕ろかれるようです。実に忙しかったけれども、決して決してかけ足で通って左右のものが目にも映らなかった年ではありませんでした。その点では寧ろ歩武堂々たるものがありました。そしてわたしも、去年はもたなかった道を歩きその豊富な展望をたのしむことが出来、それはしんからうれしいことね。しんからしんからうれしいことです。二十二日のお手紙ありがたくくりかえしよみました。
 疲れていらっしゃる夜、待っていたというのは、偶然ながら可愛いところがあります。横へおいてついうとうとなさったのね、気がついて目がおさめになったとき、其はやっぱりそこにいたことでしょう。そして、御苦労さまね、少しは楽におなりになって? と云う声の出ないのを、きっと残念に思ったでしょうと思います、自分の着ている上皮が、ちっともきれいな目に気もちいい色合でないことも、気をひけているのよおそらく。この頃本当にすこしましな封筒なんかなくていつも素気ない紙ばかりで。封筒については永年随分気を配って居りましたのにね。でもマアいいわ。わたしがつぎだらけの標準服をきていると同然で、なかみのたのしささえたしかならば、ね。
 十二月十五日
 さあ、やっと私たちの時間が出来ました。三日からきょうまでに、折を見てはちょいと書き、ブーとなってやめたり、用事で中断されてやめたりした七八枚分を、今やぶいてしまいました。原稿さえ、やぶいてすてることのないブランカにしては未曾有のことです。やっと今、ここは私一人。何とうれしいでしょう。
 家に住む人をさがしていて、国は、日頃封鎖的生活ですから僕は思いつかないねエというばかりで、私がやっと見当をつけては連絡をし、ブーの間にあわてて来る人に会い、数日気をもみましたが、結局ないわ、今のところ。暮しがむずかしいから、みんな従来の自分の環境を大切にして、これまでいろいろもとでをかけて便宜をこしらえて来た周囲をはなれるのを不安がって居ります。来てもよいという人は夫婦とも病人で、これからの生活の荒さで悪化するのが分っているという工合ですし。今急に気をもむことはやめました。もっと先へよって来ると、来たいと先方からいう人も出来るでしょうし。国は二十日ごろ帰ってこの次はいつ出て参りますやら。年越しは、寿と
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