ないことを書きたかったのです。今の人は、謂わば上の石は右へまわり、下の石は左へまわる間に、はさまれているような暮しが多く、今日の内容づけによる範囲でも常に大義と日常やりくり、うまくやることとの間にすりへらされて妙なキョロキョロした人間が出来つつあります。だから書きたかったのです。けれどもおっしゃる通りかもしれません。小さい書きものに終っては、はじまりませんからね。書いた内容さえ言葉足らずで。読書余録として、いろいろそういう読書の感想がのこされるのとはおのずから別ですから。
 バルザック読みのこした分を又ノートとり乍らよみましょう。
 この夏を通し、それから秋へかかり、この頃になるまでに、わたしの一生にとって二度とない収穫と成長の一時期が経過いたしました。この期間に、私が学びとりいれたことは、あらゆる読書執筆で代えられないものだと思って居ります。
 病気になるまでに(十六年の末)十年間ほどの、わたしの成熟が一段階に到達して、あの頃、わたしが、くりかえし、それから先へ育つこと、「作家」を突破したいこと、を云っていたの覚えていらっしゃいましょう? 自分のその希いのために、わたしは自分の病気も、原稿生活のないことも天祐と思って居りました。チェホフが沖へ出る、と表現したそれを自分に宿題として感じていたのでした。あの時分は、わたしにその要求がめざめていても、いろいろの潮加減で、水脈はとかく岸沿いにゆきやすく、執筆という櫂だけの力では、そこを横に切ることが容易でありませんでした。重宝者になることを、あの頃はあなたも注意して下さいました。生活の事情が停頓的なとき、(複雑な組合せと内容において)芸術家が発育の欲望をもつとき、其は屡※[#二の字点、1−2−22]悲劇をさえおこします。その人の情熱の勘ちがいから。トルストイが宗教へゆき、ドストイェフスキーが「悪霊」以後に陥った泥。弱少なる其々が、積極を求めて消耗的恋愛に入ったり、所謂経験渉[#「渉」に「ママ」の注記]りに焦って消磨したり。
 わたしに、そのどれもが入用でないことはよくわかっていても、さて、自分の櫂一本では沖へ沖へとゆけませんでした。わたしの自力の不足もあるでしょうし、生活というものの現実のてりかえしもあって。ところが、この夏以来、一度一度とわたしは自分の無意識のうちに求めていた櫂の突っぱりの手答えがついて来て、この頃自分の
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