何とうれしいでしょう。本場で寒中用、スポート用ですから内側が暖く出来ていて、編上げだから丈夫ですし。底が、釘のあとの(金をとってしまったあと)小さい穴があって、本当は、ワックスでもぬった方がいいのでしょうが、この間、そちらへ一度はいて行ったら、小さい穴もいい工合に泥でつまったみたいです。
体つきから云っても、わたしは烈婦ではないかもしれないけれども、少くとも勇婦ではあり得そうです。烈婦というものはね、やせ型で、眉根キリリと、つり上り唇薄くやや三白眼なのよ。御亭主にも魂をとばしたりはしないものなのよ。勇婦というのは肥って丸くてよく笑って、甘えたいところもあって、でも腰ぬけではないものです。「一旦ことおこれば、ともに岩きにこもらまし 思ひね、わが背」というところがあってなかなかいい筈[#「いい筈」に傍点]のものだと思って居りますがどうでしょう。わたしは、ぬけ上った額が黒赤く光って、肩の骨の張った烈婦よりも、桃太郎風の勇婦が気に入ります。勇婦は一本の花を手にもっているゆとりがあって。天日微笑という日光ゆたかな情景には鉢巻しても頬のふっくりした勇婦がふさわしい図柄ではないでしょうか。
わたしのフコフコも「整理の必要アリ」になってしまって、これからは、少くとも勇婦類似的にかかなくてはならないのは一大事ね。自分に、漠然と、云わずかたらずかぶせられる負担を、明瞭に整理しなければいけない、ということがよく分り、いろいろの御注意をありがたいと思います。
『名将言行録』のこと、あれは、お手紙にもあるように人物[#「人物」に傍点]の価値というものについて書いてみたかったのでした。松平信綱は智慧伊豆とよばれ、十分自他とも其を許した男のようです、それは、通俗の耳に今日も伝わって居ります。けれども、あれは、家康から三代経って家光という、封建確立時代の代表的智慧で、その下情に通じ、下世話にくだけた機智で、大名に対する商人の苦情を封じるところなど、むしろ憫然たるものがあります、智慧の気の毒さみたいな。それに、天草の乱のときの原城攻撃の態度、ぬけがけ手柄をしようとする、その他、属僚的機敏さはあっても、井伊や北條その他の気骨、大義、骨格を欠いています。人間の大事な礎をかいています、それらのいろいろの逸話を対比して、即効散的人物、重宝人物、何かにつけて「あの男を出せ」的人物が必ずしも人物の優秀を語ら
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