、きょうこそ書けますけれども、生活について、この夏から徐々にわたしの心持は変化して来ていて、どうなるにしろ、という大局の落着きが根底に与えられて居ります。従ってこわさにしろ、首をすくめて浅い息をしているという形ではないのよ。遠くのボーをサイレンかと思ってハッとするという風なものではありません。わたしは、のろのろしているが、割合突嗟の判断はたしかですから、そういう場合の自信もあります。今ひどく疲れたり、へばったりするのは、具体的に、急な時間のとき処理しなくてはならないものが、あなたとわたしの事物ばかりでない、ということから来て居ります。五分間に二本の手が出来ることは大体きまったものです。リュック一つにしろ自分の分だけなら何でもないのよ。しかし先日のようなときは、一人で三つ始末しなくてはならず、その上、食糧のことも何もかも集約的にどっと来るから、一人ではあと大へばりするのよ。もしかしたら、わたしのやりかたは、少々ピントはずれかしら、とお手紙よんで考えました。一人の人間しかいない以上、一人だけの用を先ずしておいてあとはそのときという工合で、当然なのかしら。腹も立つわね、日頃何一つ心がけず放っておく人は其から来る不自由をしてみればいいとかんしゃくも起したいことね。バカ正直で、自分がいるのにと、つい柄にもなく意気ごんでクタクタになって、あなたから信用失墜ではユリちゃんも形なしね。わたし一身のことは(ばたつきの一形態かもしれないけれ共)日頃心がけて、ブーとなってからそれというほどでもないのよ。高射砲の音をきいたからと云って、まさか足どりがあやしくもなりません。今が今、いつ来るかと兢々ともしていないわ。
 余りわたしが意久地なしのようで相すみませんから、一通り弁明いたします。こんどは、例えば自分で気をつけもしない外套をわたしが何とかすると期待したりして貰わないようにするわ。先ず一人単位ということにするわ、ね。そうしたらあれこれの配慮がずっと簡単化します、ガラスだらけの家になったら靴ばきで歩いて暮すわ、ね。十何年も前の冬、本場でスケートの稽古をしようとして金《カネ》のうってあるスケート靴を買いました。そしたら、肝臓の病気になって三ヵ月も入院しているうち春が来てしまって、その靴は、籠に入れられて帰国したまま先達ってまで、新聞にくるまれて居りました。もう無いと思っていたのよ、それが出て
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