て居りましたろう? あれが少々本物になりかかって、きのうは体じゅうこわれたセンベのようになって床について居りました。今日は眼の工合がわるくて、その点では書きにくいけれども、ぶくぶくに着て起きて居ります。出る用が多かったところへ寿が先ず床についてしまって(十六・十七)その上、久々でわたしと十日も暮したので、甘ったれてくっついてはなれないので、十六日に一頁かきかけて、珍しく中断してしまいました。六日、十一日、十四日とお手紙頂いていて、随分たくさんのお返しがたまった次第です。先ず、ブランカのばたくり占星について。
七日のあとに書いた手紙なんかは、典型的ばたくりを反映していて、あれは自分でそれを知らずさし上げたのではなくて、寧ろ、まア御一笑を、というところもあり、仔犬のフコフコもあり、かたがただったのよ。そんな気持がなければ、もっともっと烈婦らしい書きぶりの手紙さし上げたことでしょう。わたしは、家のものたちから余程万能薬と思われているらしくて、わたしの淋しさとか不便とかこわさというものは、全然無視したスパルタ的扱いをうけ、その点ではいや応なしの荒修業です。愚痴をこぼしたってはじまらないから、偉く[#「偉く」に傍点]なって居りますからね。だから、そちらへは、つい、もたれよって、フコフコになるところが少からず、というわけです。だってあなたは、わたしが疲れるとかこわいとか云ったって、少し苦笑して、せいぜい勉強することだね、とおっしゃることは分っていますもの、こうして姉さんやって行けないんなら、田舎へ行って貰うしかないね、なんておっしゃいませんからね。そしてわたしは東京にいなくてはならないのですもの、ねえ。
土台、わたしのばたくりは、春頃と今と本質的にちがって来て居ります。春ごろのは、本当のばたくりでね、ああいうことがあろうか、こういう風になっては困ると、いろいろの情況を予想して気をもんだ形でした。まだ体がしゃんとしなかったし、急に家じゅうすっからかんになってしまって、もし自分がどうかあったら、あれもこれも、どうなさるだろう、と後脚で突っぱった驢馬になってしまったのね。「あなたはそうおっしゃるけれども」は、私の一代の傑作と見え、大変きつく印象されて、今だに再出現するのは恐縮の至りです。
今のばたくりの本質は、どんなことになるだろうという風な恐慌的のものではございません。あとで
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