さの屁理屈で all or nothing と、イプセン流なの。ですから、いろいろ放ぽりぱなしで「姉さん、いざとなったら同じことだよ」と、この間うち土蔵から出した陶器類ね、ズラリと並べたまま自分は開成山なの。いい度胸です。ですから、わたしは女心[#「女心」に傍点]の小心でね、昨夜は日本でも珍重すべき参考品をあまり芸術家として心ないと惜しくて大事につつんで、ガラスの棚から大きい古米櫃にうつし、蚊帳でくるみました。気休めね、埋めなくちゃ何もならないのよね、本当は。いざとなって同じというのもいいが、ものはすべて一挙に行きませんから、家じゅうのガラスがみんなこわれて雨が入り、室じゅうガラスの破片だらけで、腰かけるところもないようになって、しかもまだ家だけのこる場合だってあるのですもの。わたしはガラスの生えた席というものに大した嗜好をもたない以上、自分の安眠のためにもね、働かざるを得ません。
 こうしてポツリポツリと働いて怪我の要素を減じてゆくというわけでしょう。でも昨夜はわたしもなかなかよ。午後になってから、思いたって、この間にとお風呂をわかしました。疲れたし働いてよごれたしかたがた。たしなみがいいでしょう? 一人だと却ってそういう早業がききます、気が揃うから。然し、一人きりなのは神経の緊張が自分で心づかずにゆるまなくていけませんね。こわいというのではないわ。緊張のゆるまなさ。昨夜もそれについて思いました。自分なんかこんなことでさえそれを思うのだが、と。自分で自分をくつろがせてやる術も入用ね。神経の緊張をゆるめる術を会得することは、私に特に必要でしょうと思います。やった病気の性質からね。
 ブランカのくつろぎかたは一風あってね、かたくなったような頭を、一つのしっかりとした胸のところへもってゆきます。それは爽やかに、春の紺の染色が匂っています。その紺の匂いと胸の厚さには限りないあたたかみがこもっていてね。黙ってじっとそうやっているうちに、息がやさしくなって、次第にすやすやした自分を感じます。紺の匂う胸は、格別その間に一こともいうわけではないのよ。ただ頭をもってゆくと、すこし動いて、おさまりのいいように、羽づくろいをするような丈です。その微かな身じろぎに何と深い深い受け入れが溢れているでしょう。タンボリンはしずかに鳴りはじめます。冬でさえもそこには春のあった風[#「た風」に「マ
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