ろしい違いのあるものを生み出します。クラウゼヴィッツを、あれ丈のものを、もう一遍よみ直すお約束は出来かねますけれども、本を読むということについてのわたしの反省も、おかげさまですこし深められました。本を理解する力というようなものはまだ皮相なものですね、人生を理解したって文学は書けないようにね。読みかたに創造的読みかたと反映的よみかたとあります、後者は幻燈とその種板よ、こわいことね、種子板がどくと、白いカーテンばかりがのこります。何と多くの作家が、うすよごれたカーテンだけとなってしまっていることでしょう。表現派、新感覚派、シェストフ、知性、能動精神、人間性、歴史文学等。そこを生き経た人は何人で、種子板のいれ入り〓し、かわりに視点をうつして来た人は何人でしょう。思ってみれば、一人の人間が、もし真実其を生き通るならば、其はそんなに急にいくつも通過し得ないでしょうね、人間精神の変ってゆくキメは緻密で年輪はかたいものですものね、本来は。自然は人間が、持続しそこから発展し得るように、自然合理のテムポと理性を賦与しているのですもの。
 本のよみかたについては、ひどく感じつつあったところでした。一つの本をよんだ、ということは、泳ぎにおける腕の一かきと全く同じで、一かきした丈は、体がそこへ出ている、ということを感じて、驚きをもって自分を考えました。そうあるべきだわ、それ丈の価値ある本は、そういう風によまれるべきです。ありがとうね。
 二十七日のお手紙。おっしゃる通り親戚も世界にまたがって存在するようになりました。六月頃出した緑郎の手紙が一日に来ました。ノルマンディーに侵入がはじまった頃のパリで、まだそこにいた時分の手紙です。ざっとよんだだけだけれども、環境の関係か、急所でピンボケのようで、すこし残念でした。同盟通信に働いたり、夫婦で交歓宣伝放送に出たり細君のリサイタルをやったりしている様子です。僕等の活動についてお知らせしますとあり、いろいろそういうことが書いてあるようです。空襲警報のとき来ておちおちよめなかったけれども。パリを去るようなことは無かろうと云って居ります。その後の経過で限界もひろげられ愚かな人たちではないから成長もするでしょう。但し「選良《エリット》」すぎるのよ、大使館、正金云々とね、細君のひっぱりや緑郎の親の七光りで。外国でこれは用心がいります、出先の大使館のぐるりの生
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