たものが勝ったもの、という神経の太いより合い世帯の社会で、個人というものの価値の目やすが、現代に近づくにつれて低下して来て、世に勝つための機会均等が、アナーキスティックだから、ギャングまで発育よくなって来てしまうのですね。日本の徳川末期の侠客、ばくちうちには、発生にモラルがあって徐々に堕落して町の顔役になったのでしょうが、ギャングの発生にモラルがあったでしょうか、ギャングについて私たちは本当を知りません、映画で妙に色づけられて居るに過ぎません。金力による腐敗のアナーキスティックな所産たる腕力、武力がギャングと化し、精神的暴力が宣伝病です。アメリカ気質はあって、個性はありません(この宣伝病の中に生れ育って免疫が出来なくてはならないため)ここがヨーロッパに比べて実に興味があるのね、ヨーロッパ諸国の知識人は過去の重しと争って個性というものをわがものとしました、そのままそこの国に定着しているから、歴史的圧力としての伝統のよさわるさと自我のマサツが今だに絶えなくて、よりひろい社会的自覚への道も個性の道を通ります。アメリカは何と表現していいかしら、物心づいたと一緒に自分たちを新社会の建設の中に移して行ったから、個人の権利の主張が直ちに開拓者的自在性、自信、腕で来い、適者生存ということのむき出しの現実とつながって、ドイツ風な教養小説の精神、個性の完成というような問題が、その日々の現実の中で、解消されてしまったようです。アンの本を見ても其を感じます。歴史的過程として自身を感じるというより、この瞬間の感情的生活が最も多様な要素を集約している、という風ね。
だから、アメリカ文学の波の動きも独特で、個性というようなのはポーぐらいではないの? ホイットマンはもうそういう生成過程のアメリカがマーク・トゥエンの時代からそこまで動いたことを示す社会的精神であったしシンクレアにしろ更にヘミングウェイにしろ、個性に加うる社会性――芥川と彼の時代への感応――という風ではなくて、もっと大づかみなアメリカ気質と呼ばれるべきものに時代性がくっきり刻まれているように思われます。彼等の進歩のしかた、新しくなりかたはそういう風で、一本の樹の梢があれ丈ゆれるから、さてはあの山は風が当るな、と思って見られるのではなくて、山じゅうが揺れるみたいで、その中で、特に目立つ樹が目につく、という風ね。封建的なものを知らない[
前へ
次へ
全179ページ中150ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング