発です。国事を談ずる、という風にやっていてね、独特な野性味があって、つまり地声でやっているのね。外国人の話す外国語で、この自然な地声で喋れるようになるにはよほどであると思います。語学の道から云うとなかなかなのでしょうが、一寸別の道、人間の出来、というところから云うと、いつもそう話す、という程度の人間も少しは在るわけです。ひどいのになると、自分の流暢な語学にひっぱりまわされて、本心が我ながら分らないような人間もありますが。
 さて、きょう、あなたの御気分はいかが? やはり忙しくてお疲れ? わたしもきょうはすこしおつかれでおとなしくなっているのよ。きのうの日曜は、風呂を立てた翌朝なので、朝の台所を終ると、洗濯をしました。あなたの白麻の長襦袢やなにかを。国も在宅で、労働服着て、バキュームを動かして、カーペットの塵をすっかりとって、食堂に敷きました。真中に継の大きいのがあるけれども、冬仕度の出来た気分で――あなたにすれば、綿の入ったものがお手元にある気分で――よくなりました。夏じゅう板をむき出していたの。

 おひるをパンにしようとしていたら(国、自転車でとりに行きました)燃料がなくてパンやに配給なしだというので駄目。何とかおひるをすましたら、倉知の樺太にいる従弟が上京しているのが、息子同伴で夕飯に来るとの電話でした。ブランカ一時に緊張し、前かけの紐しめ直して台所へこそ、いでにけり。だってね、この人の健啖は勇名轟いていて、わが家の剛の者が束になってかかったってかなわないのよ。紀の兄で十八の息子が紀のところから専門学校の機械に通って居ります。この豊寿という人は、十七年の七月末にわたしがひっくりかえった晩林町へ上京して来て、家じゅう空っぽにしてかけ廻る番人をしてくれたのですって。三日目に気がついて何かお礼云ったのを覚えて居ります、ですから、わたしとしては三年目の上京には、ひもじい思いをさせられないのよ。台所の戸棚あけてつらつらと眺めますが、あるものと云えば、さつまいも、かぼちゃ。どっちも自分として、とびつく気にならず。パタパタ火をおこしていながら思案して、ないにはまさる、とカボチャうんと切って味丈は美味しく煮て、火なしコンロ(おはち入れの応用)へしまって、さて考え考え足し足ししてお米をとぎ、汁のためのダシをとり、その間、腰かけへかけてアン・リンドバーグの「北方への旅」のつづきを
前へ 次へ
全179ページ中148ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮本 百合子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング