う風に特別な区切りや色彩のない簡素な室で、ゆったりした机の上にだけいくつかの愛物ののっているのがすきです。相変らず支那焼の藍色の硯屏とうす黄《キイロ》い髯の長い山羊のやきものの文鎮がひかえて居ります。この形で当分暮すのでしょう。
 さて、やっとお天気になりました、きょうは暖くもあったことね。きのう、掛布団届けましたから、あす明後日にはおかけになれましょう。雨の夜こそ綿の厚いのが欲しい気もちがするのにね、今年こそ、と思ってあんなに早く出来しておいたのに、差入れられる日限が来たら雨つづきになってしまって。あの雨つづきは、暖流異変というのだったのよ、御存じ? いつまでも暖流が流れて来て寒流が来られないでいたんですって。だもんだから秋刀魚も、乗って来る潮が停頓してしまって、どっかで停電[#「電」に「ママ」の注記]してしまったのですって。黒点との関係だそうです。いろいろ変ったことが起るのね。
 きょう、あなたのねまきをほして、自分の体が痒くなるようでした。マアマア、よくもよくもくったこと! 痒い痒い、おなかのまわりね。あれ丈になるのには、全く夥しい数の輩が、一匹ずつたんまり頂いたことを物語って居ります。
 自分がノミには弱くて、くわれはじめは半狂乱となったからしみじみとお察しいたします、ところによるのではないでしょうか。運わるく、繁殖著しき場所に当っていらっしゃるのかもしれないわね、何年もの夏でしたが、あれほどの戦蹟をのこした夏ものははじめてですもの。どこの家にも今年は多く出たのよ、何かノミにとっては仕合せ多き年なりきということがあったのでしょうか。
 三日づけのお手紙頂いたこと申しましたね。クライフのあの本なんか、良書です。しかしクライフが生れた国柄のおかげか、良書としてスイセンはされて居りません。青年たちがよむべき本の一つなのにね。クライフという人自身、人間というものをよく知って居りますね。人間の情熱というものを自身知って居りますね、あの抑揚は、それを知らない人にはもてない精神のリズムと迫力です。プルタークについても、いつか云っていらしたことは真実ね、多くの場合プルタークはそれを本当に理解する丈生活経験を積まないうちによまれたぎりのことが多い、と。プルタークはあれを、いくつの時分に書いたのでしょうか。プルタークの尨大な頁の中に鏤められている珠玉が、生々しい感動としてわたし
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