はないでしょう。そして芸術のジャンルについて考えればキリストとマグダラのマリアとのいきさつは全く文学の領域で絵でも彫刻でも局部的な表現しか出来ないでしょうね。この手紙は立ったり居たり、わきへ人が来たりの間に書いたもので、きっといくらか落付かないかもしれませんが。

 十月十二日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 十月九日
 今、夜の十時です。何と珍しいことでしょう、この手紙は、いつものように食堂のテーブルの上でかかれているのではなくて、二階の、わたしの大きい勉強机の上でかかれて居ります。
 先々週の月曜以来(咲枝上京の日から)うちは大ゴタゴタになって、疎開手続をして二十ヶの大荷物を作るかたわら、陶器の蒐集したのやたまったのやらの処分をはじめ、わたしは連日台所に立ちづめです。荷作りはコモ包みを専門家が来てこしらえて、発送するばかりとなり、あのガランとした玄関の土間に人の通るせきもなくつみ上げられました。仁王のような男が来てやりました、それはきのうのこと。一昨日は陶器の商売人が来て、七十歳の体を小まめにかがめて午後一杯価づけをいたしました。陶器の方もこの二三日で処分するものは処分し、のこしておきたいものは、のこすでしょう。
 そのさわぎで、家じゅう一《ヒト》ところも常態でいるところはなくなってしまいました。食堂の大テーブルは、陶器陳列用につかわれて、小さいテーブルで食事だけはしているし。台所が一番いつも通りなので、わたしは食事係をひきうけている関係から、台所で働きつつ小説をよむという暮しでした。小説はよめても、書けないわ、職人の出入りするところでは、ね。
 きょうになったらもう辛棒しきれなくなって、二階に大車輪で自分のものを書くところこしらえた次第です。目白の頃のようにね、八畳の室の入った左手に机、その奥にベッド、つき当りに小さい本棚。ここへ来れば、わたし達の雰囲気があるようにしました。そして、やっとさっき顔を洗い、足を洗い、着物をかえて、書きはじめました。こうやってこの机使うのは、十六年の十二月八日の晩以来のことです。その時分は、次の室のずっと広い方に机おいて居りました。でも可笑しいものね。余り家じゅうどこへ行っても大ガタガタだと、ひろい室はいやになってしまうのね、ここへ、ベッドとくっついて置かれてあるの、なかなかわるくありません。わたしは妙ね、こうい
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