でしょうね、相当上ったり下ったり右や左へ揺ま[#「ま」に「ママ」の注記]れながら、どこか陽気さを失わず、よろこんでひっぱられて来る子船を眺めて。裏表にかく方法はいかが? 確に不景気ですが、紙の貯蔵は少いから御辛棒下さい。
二十七日のお手紙をありがとう(きょうは十月一日)生存上の潤滑油というのは全くです、総てのいいことはそこからというところもあります、わたしは、そういう油のたっぷりさのために、香油づけのオリーヴの実のようなのね、くさりもせず干からびもせず。原始キリスト時代の人たちが、香油というものを特別に尊重したことをこの頃思って、その人たちの生活が、どんなにひどくて疲れるものであったかと思いやります。わたしも踵がズキズキするほど疲れたとき、ああ今もしこの足を哀れに思って暖い湯で洗い油でも塗ってもらったらどんなに休まるだろうと思うときがあります。あの時代の人々の生活、キリストという人の生活のひどさは、そんなどころでなかったのね、だから生活の苦労を知っているマグダラのマリアが、実に沁々と愛情をこめてその足を油ぬり、いとしさにたえなくて自分の金色の髪でそれを拭いてやったのね。キリストという一人の男の心情にみたされた思いはいかばかりでしょう。マリアの油はキリストにとって無限の意味と鼓舞とをもっていたと思います、だから、誰かが、そんなことをさせて、と非難がましく云ったとき、キリストは、マリアは自分《キリスト》に迫っている危機を感じてしているのだから放っておけ、と云ったのでしょう。マリアが、自分の非力を痛感しつつ(本能的に)こころをこめてキリストの足を油で洗ったとき、その顔にあった表情は描けも刻めもし得ないものだったのでしょうね、ピエタのマリア(母)の方はミケランジェロの未完成のものもあるけれど、このマリアはロセティかがあの人のシンボリズムで描いたぐらいではないかしら。マリアの顔が描けるぐらい、一個の男子として女性の献身をうけた絵かきや彫刻家は、ざらになかったという証拠でしょう。母と子のいきさつは人情の常道を辿って到達出来ます、そして云ってみればどんな凡々男も父たり得るし父としての親としての感情は味うでしょう。男と女との特殊な間柄は、いつも情熱に足場をもたなくては成立し得ないし、其だけの情熱は或意味では普通考えられている恋愛以上のものですから、誰の生活の内でも経験されることで
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