かかせる気もちには一寸した基礎があります。
 火曜日の帰りにあなたのセルをとる必要があり、中野の方へゆきました。それから、自分の荷もつのことでもう一ヵ所、友達のところを訪ねました。どこでも、わたしは珍客でたのしくすごしたのですが、帰って来てひとりになって考えていると、何と云っていいかしら、自分が一艘の船であって、波の立つ水の中を、気もちよくずっぷり船足を沈めて通って来たというような感じになりました。通って来た、というより通りつつある毎日という感じを深めました。これはどういうことでしょう、思うに、周囲は非常にざわめき揺れ漂っているのね、生活感情において。歴史はジグザグして幅ひろい線で進行して居るわけでしょうが、箇々の人々の生活というものは、その進行とともにその方向へ適確な動きをしているのではなくて、波間に浮く樽のように、自からの大局からはその方へ動きつつ自覚としては旋回的なのではないでしょうか。動きに対して受動で。どっちを向いても何し[#「何し」に「ママ」の注記]ら流れ漂っている感じです。そういう中に、積荷がしっかり荷綱によってくくられていて、かなりひどく揺れながら船体の安定は保たれている確信があり、スクリューはともかく廻って、潮にしっかりと乗っている一艘の船のように自分を感じるということは、少くとも大した仕合わせではないでしょうか。わたしはこういう感じこそを窮極の幸福としてうけとります、そして自分に願うのよ、舳よ舳よ、しっかり波を突切れ、濤にくだかれるな、もちこたえてのりこえよ、と。何故なら舳のところから親綱がひかれていて、先に親船が進行して居ります。切れることのないそれはひきつなです。舳がつなをもっていられる限り。舳もはっきり知って居ます。自分というものが存る限り、このつなは切れないと。
 親船は、自身のひき船の能力をよく知っているようです。劬《いたわ》り、しかし甘やかさず、水先案内に導かれて、沖ではラシン盤によって波濤重畳の大洋を雄々しく進行し、適当な時期には、ひき船をひき上げ自身の船体に搭載して、更に進行をつづけます。ひき船のうれしい気持は察するにあまりあり、ではないでしょうか。精一杯ひかれて進行してさえゆけば、沈没するほどのときには、大きいひろい船体にたぐりあげられて、安心してその舷側に吊られるというのは、どんなに仕合わせでしょう。親船もきっと可笑しく可愛い
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