い感想にうたれました、それは自分の父親の人柄についての好意と満足です。
父の蒐集は決して茶人の渋さでもないし、所謂蒐集家の市価を念頭においての財産[#「財産」に傍点]でもなく、本当に趣味なのね。陶器のサンプルとして純粋なものを、所謂|ヒビ《にゅう》の入っているにかかわらず買っていて、通人達の標準から見れば筋の通ったやすものを、平気でもっています、そしてね、鍋島とか柿エ門、古九谷など、どれもみんな活々とした色調の愛くるしさのこもったものを選んで居ります。骨董くさいところは一つもなくて、マア人間て、こんな模様を考えて皿に描くのね、と想像力というものをいとしく思うようなものが多うございます。はじめて見るようなものもあります、これらはうちの蔵を出て、どこかに散らばり、中のいくつかは空襲もまぬかれることが出来るでしょう。うちの蔵払いというよりも、何か出発のような晴々としたうれしささえあります、父という人はそういう人だったと、深く思います。一月三十日に亡くなって、二月のあの大雪の第一日、粉雪が市ヶ谷へ戻る私の髪にふりかかりました。幅のせまい着物に代って、寒いのと甚しい疲労とで夢現に坐っていたとき、二月の雪の霏々《ひひ》とふる旺な春の寒さは、やっぱり私に不思議な感動を与えました。悲しさの中から一つのはっきりしたよろこびの声が立ちのぼってゆくようでした。雪の面白さ、元気さ、陽気さ、それはそのさっぱりしたところと共に、父のもの、と思われて。
こうしてあぶないところを、うちで灰になるところをまぬかれて、どこかに出立してゆく皿や花瓶やなつめ[#「なつめ」に傍点]たちは、自ら身にそなえた趣にしたがって、ふさわしいどこかに落付くことでしょう。おとなしいものたちよ、愛らしい人間の精神の産物たちよ。人々が落付いて、自分たちの愛らしさを感じ直せる時まで無事でいなさい。それは鏡のようなもので、人間のこしらえたものであり乍ら、或時、人間に人間というものを考え直させるはたらきをもって居ります。
こういう晴々としたよろこびをもって、こんな整理も出来るのは、うれしいことね。自分が、こうやって、祖先たちの優雅を十分愛掬することが出来つつ、自身は全くありふれたやすもの瀬戸もので、こんなにうまくものをたべ、愉快に茶ののめるのを仕合わせに思います。
そしてね、今のこの寸刻のアントラクトに、わたしにこんな手紙
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