の日々の中へまで反映されるようなときがあろうとは、実に予想いたしませんでした。昔トルストイの「戦争と平和」を菊版の四冊かにして出したりした国民文庫の中にプルタークがありました、それがわたしの見た初めでした。それから、まるで字引よりこまかい字で二側にキッシリ印刷した英文のプルタークが、今も埃をかぶって棚にあります、建築字典などと一緒に。どうもあの本をよんだ人がいたと思えないわ、あの字のこまかさでは。買ったのは父か省吾という弟の人かもしれませんが。プルタークは、詳雑でありながらも、キラリとしたところは感じた人間なのね、キラリとするところがうれしくて荒鉱《アラガネ》のところもとりすてかねたのねきっと。
わたしはあなたが『風に散る』の第二、第三、とおよみになるのをたのしみにして待って居ります。これについては大変話したいことが一つ二つあるのよ、ムズムズして待って居ります。だって失敬でしょう、これからおよみになるのに、前からあれこれ喋ったりしたら。我慢して待っているの、ですから。
ヘミイングウェイというひとを、再び見直すことにも関係をもって来るのですが。あの第二巻をおよみにならなかったのは、小さい残念の一つね。「誰が為に」、の。
あなたもやっぱり『食』は御覧になったのね、何万人の人があれをあすこでよむでしょう。わたしもよみました、そして、同様に感じ、又こんなことも感じました、こういう本のかける人の神経は、何とのびやかだろうと。或意味では御馳走と一緒に人もくっているわ、ね。所謂嗜好[#「嗜好」に傍点]を、支那古代人は、事実そこまで徹底させました。この和尚さんのは抽象的ですが。もう疲れたからあとは明日ね。このベッドの足の方のネジクギが一本ぬけてガタクリしているのよ、三本足の驢馬にのって山坂を下りる夢でも見なければいいけれど。キーキー云ったら、それはわたしがあぶながって叫んでいるのよ、そしたら、いつかのように、つかまってもいいよ、と云って頂戴。それは暖い初冬の夜の崖の上で、街の灯は遙か下にキラキラして居りました、その腕に遠慮がちにつかまったとき、わたしは体がそのまま夜空を翔んでその灯を踰《こ》えて軽く軽く飛べそうに感じました。シャガールは、ロマンティシズムにへばりついていて下らないけれど、彼の人生の一つの真実として、そういう感じに似て感銘だけはもっているのね、覚えていらっしゃる
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