務はそこではないでしょうか。
このことでもわたしはお礼を申しとうございます。その気持の湧くところおわかり下さるでしょう? 作家としての確信や自信というものが、「私」の枠からぬけ出るということ、漱石は則天去私と云ったが、そのもっと客観的なそして合理的な飛躍は何と爽快でしょう。「私」小説からの発展の可能が、最近の一つの契機として、事実の叙述はいかにするべきものかという実例で示されたとすれば、あなたにとっても其はわるいこころもちのなさらないことではないでしょうか。
刻々の現実の呈出しているテーマは何と大きく複雑で多彩でしょう。そのテーマの根本的意義を感覚のうちにうけとるところまで成長したとき、「私」はその個的成長に必要だった枠としての任務を遂げて腐朽いたします。現代文学史の中では、「私」がこういう自然の脱皮を待たず、或は、自然に脱皮するとき迄保たないほど弱くて、風雲にひっぺがされて、赤むけの脆弱な心情が、こわさの余りえらく強げになってみたり、感情に堪えず神経を太く[#「神経を太く」に傍点]したりいたしました。
これらのことは、わたしたちの話題としても一つも新奇でありません。けれども、今又このことが新しく会得されるというのは無意味ではないと思います、立派さというものの中には古びることのない感動があります。飽きない摂取があります。立派さにてらし合わされると、わかっていた筈のことの本質が更に又わかって来るという不思議がおこります。山にのぼるにつれ視野のひらけるように。わたしにとってその立派さは美味しさに通じているのよ。何と何とそれは美味しいでしょう。ああ、あなかしこ。
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[自注12]竹早町のおばあさん――顕治が大学時代下宿していた家。
[自注13]アンポン、ブランカ――「アンポン」も「ブランカ」もともに百合子のこと。
[#ここで字下げ終わり]
九月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
九月二十四日
今、うちの防空壕が九分九厘まで出来上って、職人がかえるので、お茶をのませようとして居ります。
いつ何をどうするのかと思って居たけれども、どうやら間に合いました、時間の上では、ね。このコンクリートの薄い枠が地下で(三四尺の泥の下)どれ丈の役に立つかは=実質上、どの位間に合うか、は未知数ですが。それがためされるのは遠いことではな
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