ゆく分、のこって役に立つ分。働く手が折々止ります、荷をつくるこころもちに我から打たれて。
ところでね、一つこころからのお願いがあります。
それは、ブランカのアンポンが余り早めにはじまるとわたしは、途方にくれてしまうから、当分、余りきれいな星空のことや月明りのことや花の蕊のいい匂いのことやは想わないで、おかなければいけないということです。
空想というものは、どんなに其が光彩陸離としていようとも、それは在りはしない[#「在りはしない」に傍点]こと、本当に知ってはいないこと、そういうことの蜃気楼です、薄弱なものです。しかし在ること、まざまざと在ること、そして知っていること、今すぐにでもくりかえし其のリフレインをききたいこと、そういうことの心の上での再現は、愉しさの限度に止らず、病気のようにさせる位つよい作用をもって居ります。
しかも、そういう自然の開花と、今との間には、まだ一つの生涯と呼ぶにふさわしい丈緊張と努力の予想される時間が横わって居ります。ユリが不束ながらもっているはっきりした眼、実際性を、極度に必要とするときが。季節より早く咲いてしまう花は、風にもろうございます。だから、わたしは一生懸命、意志をつよくして、必要にこたえる準備に力を注ごうと思います。時間を忘れて木の葉の音をきいていないで、少くとも十時には眠る、という風にしててね。
これは、むずかしいようです、お願いというのは、わたしが又候ぽーとしたら、軽く背中をたたいて正気づかせて頂きたいということです。どうぞ、ね。
このごろは何だか、こわい、と思うことが減って、殆どないようになってしまったわ、新聞でフィリッピン中部に云々とよんでも。これは大変結構なことですが(こわくなくなったのは)それだからと云ってリアリズムを失ってはならないでしょう。〔中略〕
創造という丈の文学でないものは、或る特定の文化層の分解過程の醗酵物なのね。器用に其が飾られ組立てられ心にふれ[#「心にふれ」に傍点]られるが、それは要するに創作ではないのだわ。再現物なのね。文学に創作と、再現物とあり、作家と再現工人とがあるわけです。再現工人そのものに対して何と申しましょうねえ。読者がふさわしい時期に、それが醗酵物であるにすぎないことを知ることが出来ればいいのだし、そのためには、読者に文化的に親切であればいいのです。文芸批評の新しい根本の任
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