の彼方には幸住むと人のいう」というのがあるでしょう、ゲーテの「山の頂に休息《いこい》あり」というのがあるでしょう。どっちもその人たちの人生のあり場所を示して居りますが、「どこらの峠かときかれるなら」の溌溂とした動きと多彩と変転に耐える強靭な展望はありません。情感の美しい流露が、言葉のリズムを支配しているばかりでなく、これも亦文学の本質的な新種です。わたしはこういうものは、読むというよりのみこむのよ、たべてしまうのよ。たべてもたべても、そこに消えず香高くあるというすばらしい果物のようね。
 こんな風の爽やかな初秋の日、こういうおくりものをもって、よしやそれののっている緑と白の縞のテーブル掛はかなりよごれているにしろ、やっぱり幸福者たることにかわりはありません。
 ジクザク電光形というのが、そのままね。何と激甚な閃光でしょう、破壊と創造との何という物凄い錯綜でしょう、創世記というものを、人類は其々の民族によって、雄渾な伝承にして来ましたけれども、現世紀における畏怖すべき雷鳴と、爆発と、噴出する新元素新生命の偉観とは、予想もされていなかったと思います。そして、現世紀の民族叙事詩は、極めて高度な散文でかかれつつあります。詩と散文の過去の区分は或意味では消失していると思ったのは、もう何年か前ですが、この秋に、わたしは散文というものの実質がどのように充実し高められ、生命そのものが粉飾的でない通りに、飾りない美に充ち得るかということを身をもって知って、一層切実にそう思います。散文をかく人間に生れ合わせたうれしさを感じます。文学的ということも、進歩いたしますね。ああいう小説がかきたいことね、沁々そう思います、不言実行的小説が、ね。
 さて、これから、わたしは犬の仔の話をかくのをたのしみにして居たのに、電話が鳴って、ひとが来るのですって。仔が五匹チビから生れました。ある朝おきたら、外のカマドのわきの空箱の中に、さっき生れたというようなのが五つ入っていて、チビは大亢奮で、しきりに報告にとびつきました、一つは圧死していました。そこで、早速もっとひろくてふちの低い箱を見つけ出して、ワラをしきこんで、そっちを御新居にしてやって、死んだ仔を埋めました。犬の世話をしていると、こういう事業もわたしの仕事になって、それは苦痛です、閉口なの、全く。しかしそこが又面白いもので、可愛がる世話するということ
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