ディアスです、文章そのものが或る慰安です。甘くはなくても。彼女は人生を愛しました。
愛した、と云えば、イギリス人が、あんなに自然のままということを大切に珍重する公園、所謂イギリス式庭園を愛するのは、アメリカ人みたいに、家の中も外もなく、森から湖から土足で愉快に出入りして暮す気分からではなくて、要するにコントラストなのね、生活感情の。一面で、社会生活がヨーロッパでは亢進してやかましくて、ぬけ目なくて、しきたりで、大きい声でものを云うと失礼で、ウーとなってしまうから、太古ながらの樫の木が生えて、鹿がいて、むかし祖先たちが、裸で炙肉の骨をつかんでケンカした風物がなつかしいのね。風景画となると、もう絵はうち[#「うち」に傍点]で見るものだから、あのイギリス独特の、面白くてつまらない風景画となってしまうのでしょうか。全くイギリスの風景画は、愉しんで紊《みだ》れず、と云いつたえに立って身を守っているようね。ゴッホが、燃える外光の中に見たあのポプラや糸杉や麦畑。気の遠くなるように白く美しくて、その白さは朱でふちどらなくてはくっきりあらわせない程白く美しい梨の花と思って見たものなんか、イギリスでは、白いものの上の陰翳は紫がかった藍色ときまってしまうのね。イギリスの中流の女たちが誰でも、しなびて水っぽいスケッチしたり、ピアノをお客にひいてきかせるのは、何といやでしょう。わたしは、それを辛棒しているうちにコワイコワイ顔になってゆく自分を屡※[#二の字点、1−2−22]感じました。空襲で、そんな暇のない時代に育つ若い女たちは、不幸中の幸です、一つのマンネリズムからは少くとも解放されるでしょうから。
空襲と云えば、国男さんが建築家である功徳が一つあらわれました。かなり本式の待避壕が(ここで一時間半八百や魚や米炊きさわぎ)出来かかって居ります。間に合えば、すこしはましな壕でコンクリートで屋根もついて泥が三尺ほどのります、なかで眠れるように出来そうです、スノコをでもしいて。火がぐるりをかこんでも大丈夫と主人公は申しますが、さてそれはどうでしょう、わたしはまだローステッド・ブランカになるには早すぎますから、火事が本式となったら、その穴からは這い出すつもりで居ります。今はまだ七尺五寸の地底にコンクリートの柱が何本か立っている丈よ。トラックがなくて材料が来ないのですって。では明日。明日は砂糖配給
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