ばその本をよむより、自分をよんでいるという風な。「伸子」のとき「暗夜行路」がそうでした。三四年の間、机の上にある本と云えばあれきりで、やっぱりリズムが合ったのね、それによって自分がよめたのでしたろう。旦那さんの批評家ジョン・ミドルトン・マリは、善良な男らしいけれども、キャスリンは、自分と全く似ていると云っています。これはつまりキャスリンが作家なのに、作家に似た批評家というのはどうかしら、ということになるのね。キャスリンは感受性が柔軟で繊細で、心情の作家だったようです。彼女が永い間、内へ内へ感じためるだけでまとまって表現しかねていたものが、愛弟の戦死によって、一つの焦点を与えられ、ニュージーランドで暮した生活の再現に集中してから、いい作家になったということには深い示唆があると思いました。前大戦前後の動揺の中で、キャスリンは、安易に作家になり上るためには、本もののテムペラメントをもっていたのでしょう、頽廃にも赴けず、空粗[#「粗」に「ママ」の注記]なヒロイズムのうそも直感し、人間悲劇を感じ、何か真実なもの、心のよれるものを求めて、感受性の内壁ばかりさわって苦しがっていたと思います。マリは、その点でのキャスリンの云わば健気な弱気とでもいうようなものの性質を明かにして居りません、伝記の中で。(マリは、キャスリンの伝記で凡庸さを覆えませんが)ヴァージニア・ウルフが、知脳[#「脳」に「ママ」の注記]的な女の作家で、同じ時代にシュールリアリズムに入り、ああいう作品をこしらえ(ウルフのは全く頭でこしらえたのね)この第二次大戦のはじまりで、シュールでもちこたえられないリアルに負けて自殺したことと対比して、ともかくあの地の婦人作家たちが、一通りならぬ苦労をもって、どの道にせよ拓いたということを考えます。今次の大戦後、イギリスはどんな婦人作家を送り出すでしょう。分裂の方向でない新しさ、健やかなリアリズムが、どの程度甦るでしょうね、サッカレーが出たこと丈考えてみても、その素質がないとは云えますまい。でもイギリスにはディケンズ病みたいなものが流れていて、心情的傾向は、とかく炉辺を恋うて、剛健な大気のそよぎそのものの中に心情を嗅ごうとしない危険があります。キャスリンにしてもそうよ。文学におけるヴィタミン欠乏症です。「風に散りぬ」などと肌合いのちがうことどうでしょう。キャスリンの文章は、殆どメロ
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