にはすこしぼんやりした風で、しきりに考えました。人間が幸福を感じる奥ゆきは、いかに深いものか、云いかえれば、ある人を幸福にしてやる、ということには、いかに、ピンからキリまで、その方法があるか、ということについて。自分はすこし大きくなって以来、いつも生きるに甲斐ある生きかたをしたいと思いつづけていました。それは野心その他とまるきり違ったもので、感覚として内在するようなものだったのね。それにつき動かされて、より新鮮な空気を求め求めて来たわけですが、二日のかえり、プラタナスの下をゆっくり歩いて来ながら、わたしはその自分の願望が、勿体ないように叶えられているのを感じました、自分自身の力には叶わない望みが、叶えられて与えられてあるということに驚愕しました。自分というものは、ごく厳密に云って、願う丈の生き甲斐を創り出してゆくには、ちいと力が不足して生れついていると思います。勇気が足りないのか、頭の堅木《カタギ》のように美しい木目が荒いのか、ともかく残念ながら、私に出来ることは、非常によく感じ、理解し、それによって、そこから何か人間的集[#「集」に「ママ」の注記]果を生み出してゆくことだと思われます。女というものが、そうなのかしら。文学的な素質というものが、そういう特長をもっているのかしら。いずれにせよ、わたしは、創られた新しい頁の価値にうたれ、それに導かれ、その価値と美を語ることによって、自分も一つの何か醜からぬものをこの人生に寄与してゆくもののようです。
 生きるに甲斐ある人生を求めることが、人間として健気であるというにしろ、それは怠慢を許さないと云え、それにしろ、わたしはやっぱりおどろきを抑え得ません。年々深まるおどろきを。そして、それは、まぎれもなくこの秋空に、燦く頂きを見せました。
 そこには全く時代として新しいものがありました。ずーっと昔、十年ほど前、華々しい論説というような前期的空気にはふれましたが、世代の進展の大さ、着実さ、高さ、尤も注目すべき現実性に於て、極めて感歎に価しました。それの堂々さは、自然現象の壮麗さと同じように公明正大であり、企らみなく、自然です、自然現象のおどろくべき仕組みを見て、人の感じるおどろきは素直であって、おそらくはその人の一生に影響するものよ。虹でさえ、人は美しいと思って見れば一生忘れることは出来ません。
 わたしの中に、オルゴールのつい
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