りふれた意味で分散させて置こうとしたのよ。原稿紙や古布類を。段々ときが経つうちに、気持がちがって来て、わたしが一緒に疎開して暮すとき必要なものを、と思うようになって来ました。そういうとき、どんな形で暮すのか、全く今は判らないけれども、何処ということさえ茫漠として居りますが、たった一つ極めて明瞭で、こころを動かすことがあります、それは「|一緒に《ス・トボーユ》」という短い言葉です。これは詩の題として恥しからぬ表現です。一巻の美しい物語の題であり得ます。この言葉をくりかえしくりかえし考えていると、つまりはこうして話し出さずにはいられなくなって参ります、わかるでしょう?
動坂以来、いくたびか引越しをいたしました。けれどもこの言葉が、こんなに生々として中核にある移りかたというものは知りませんでした。これは何と瑞々しい気もちでしょう。何か愉しげなような[#「ような」に傍点]感じでわたしを揺ぶります。自分で自分に訊きただします、(何だかいぶかしくもあるのですもの)果して愉しいことなのかね、と。さすがに、すぐは返答しかねるのね。まさか、そう単純でもないわけですもの、全く。でも、やっぱりわたしがそのために自分の用意を心がけることのうちには不思議な感動があり、詩の新しいヴァリエーションの響があり、その展開の期待と、そこでも詩はそのときなりの充実をもつに違いない信頼とがあります。一緒に、新しい頁にうつってゆくときめきがあります。
いろいろと空想し、それを自分で空想と思って空想するのですが、一等の魅力は、そういうところで少くとも半年は落付いて暮して、その間に今の渇きがしんから治るまで、勉強することです。人とつき合うことは殆どないでしょうし、一度から一度へと御褒美をたのしんで、一心に勉強するのは、どんなにいいでしょう。あとの半分位は、ゴタゴタした東京で、もまれて、埃をあびせられて、よかれあしかれ、今日[#「今日」に傍点]につよく接触して、又次の半年は、巣ごもりで暮すの。うんとうんと仕事をしたいのよ。ある日に、わたしが、しんからあんぽんブランカとなり終せ、気持いいこと、美味しいことしか思わないでどれ丈か暮しても、それは十分これ迄の勤勉の御褒美として天地に愧じるところない丈、うんと仕事しておきたいと思う次第です。賛成でしょう?
二日の帰りみち、わたしは疲れたのと感銘に打たれたため、よそめ
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