たしは、もとから、余り気もち一杯だと言葉に出せなくなるの、御存じでしょう? あれらしいわ。そして、そういうときは、せっぱつまって、いきなり何か小さい行動で表現してしまうこと、覚えていらっしゃるでしょう? あなたはそういうわたしのやりかたを、快くうけとって下さいました。この手紙もそれよ。よくって? ここにあるものは、字ではないのよ、わたしよ。よくて?
堂々として、一つのこま[#「こま」に傍点]のぬきさしならぬ、渋い美しい壮麗な大モザイックの円天井を見ます。その美しさのもとに生きることの歓喜のふかさは、それが大理石の円柱であったとしても耀き出さずにはいられないと思います。
喝采というものは、芸術のテーマとして最もむずかしいものだと思います。讚歎に負けてしまわず、その内容と意義を掌握することはむずかしく、もしそれが十分出来たらその芸術家そのものが、既に喝采に価するわけでしょう。
わたしは駄目ね。ここにいるのは、わたしよ、と、犬がうれしがってワンというようなことをするから。でも自分がワンといってかみつきたいようになるのは、何と満足でしょう。最上の理性と智慧とが、人間の最も本然な、素朴な、愛すべき表現をとるしかないということは、ほむべきかな、と云うしかありません。
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[自注11]きのうは御苦労さまでした。――顕治の第四回公判の陳述。
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九月七日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
九月六日
風があらくて、空では雲がきっとはげしく流れているのでしょう、初秋らしくかーっと日がさすかと思うと急にかげります。
食堂のテーブルで、食べながら、これをかいて居ります、珍しいことでしょう、くいしん棒のわたしが、どういうわけで食べ乍らなんか、とお思いになるでしょう?
わたしもどうしてか分らないが、どうも書き乍らでないと、今はゆっくり食べられないのよ、カチカチのやいたパンは、かむのに時間がかかります、つまり早く話したいのね。朝おそくから今まで、成城へやる荷ごしらえをして居りました。去年の春から荷ごしらえ一般は随分やって、力に叶うものならば技術もたしかになりました、けれどこんどのこの荷作りは、特別な思いがわたしに湧いて、一服したとき、あなたに黙っていられないところがあるようになりました。
成城への荷物なんかはじめは只あ
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