思いおこし、東北は、めいめいが生きんとする原始生活力を森や丘から吸い込みます。富雄さんはどうしてこんなに仕合わせ者でしょう。くりかえしこの貴重な小さい紙面で、本のこと思いおこされて。わたしがずぼらというばかりでもなさそうです。隆ちゃんにも送りましょう。もうおかきにならなくても大丈夫よ。ちゃんと発送いたしますから。
『風に散りぬ』の第二巻だけが、ポツンとかりられました。送ってくれるのが、やがてついたらおとどけいたします。あの本は妙なめぐり合わせの本ね、全く、ありすぎてない本となりました。
うちの南瓜は蔬菜の雑草化の見本だと思って放っておいたら、小さい実が一つついて居りました、大うら成りのうらなり乍ら。蝉の声がしきりに赤松の林を思いおこさせます、そのくらい秋っぽいのね。
九月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
九月三日
きのうは御苦労さまでした。[自注11]本当に、御苦労さまでした。さぞお疲れでしたろう、蒼い色になっていらしたから、帰りに脳貧血気味におなりになったろうと思い、気にして居ります。気持はわるくないお疲れでしたろうが、体の気持はおこたえになったことでしょう。かえって食事あがれましたか? 全く、美味いおつゆをたっぷりのませて上げとうございました。そして、お湯をあびせて上げてね。きのうの御苦労さまという感じの中には、たったきのう一日だけではない、その当時の様々が御苦労さまでした、にひきつづき今日から明日への御苦労さまがみんなこもった感じでした。云いつくせない御苦労さま、よ。しかもその御苦労さまが磐石のようにしずかで、もちこたえよくて柔軟であるとき、こころのおどろきはどんなでしょう。
字面にすべてがこもるものでないと痛感いたします。わたしが、見たりきいたりしたものはすべて生きていて、与えるものは筋ではないのね。人間を感銘せしめるのは筋[#「筋」に傍点]ではないのですものね。ありがとう。
わたしというものがめぐり合っている人間的仕合わせの全延長について、昨夜はくりかえしくりかえし思い及び、人間の質について沈思し、感動をとどめ得ませんでした。
生活の真面目さと、浅薄さとの相異がどんなに大きいものかということは、平常人が考えているより遙かに巨大ですね。
この手紙ぐらい、思うままに表現出来ない感じの手紙はこれ迄書いたことがないようです。わ
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