ていて、そのすきに、というまでは体が動かせなかったの。もう退院しました。自分が病気の間、あれほど心にかけて貰って、こんどあちらがという時放っておくのは何とも心苦しいので、エイと気合かけてきのうまわってしまいました。
大人のジフテリーは予後が心臓衰弱してこわいのです。あぶないと心配していたら、てっちゃんもやったのですって。歩いて帰った翌日、葡萄糖を注射して直った由、すこしやせていました、が、勤めがひどく疲労させるらしいので、却って神経は休まっているようでした。カンシャクもちになったのよ、可哀想に。あの人が、勤め先では決しておこらない人、面白い人になっているって、そうなるための疲れはどれほどでしょう。うちへ帰って敷居を跨いで子供がギャーギャーやっていると、四隣に鳴りひびく声でコラッとやるって、澄子さんが苦笑していました。てっちゃんはいい奥さんをもちましたね、澄子さんはそういうかんしゃくでもちゃんとおとなしくうけてあげる気質ですから。平らかで明るいから。賢い人です。感情的な女だと不幸になってしまいましょう、その原因がただ疲れだというのに、ね。それほど疲れる、というところに世相と性格とのからみ合いがあります。
卯女は、頭クリクリ坊主で男の子のようになって、でもやせすぎです、微熱出している由。母さん父さんかけ合いで馬糞物語をきかせてくれました、畑のこやしに馬糞をみんなが拾います、芝居のひとはちがうわね、身ぶり声音、興がのると舞台風よ、余り賑やかで舞台裏にいるようでした、その中で父さんは破れシャツ、破れズボン、ザン切り頭で、すこしやせて、南方土民風にしゃがんで、鴎外を論じ『日本戦記』を見せてくれました。馬糞物語では余り現代コントだから「あなた方ったら、二人がかりで、只喋っちまって。栄さんなら立ちどころにこれで六七十円は稼ぎますよ」と云ったらば、台所でわたしにコーヒーというものをこしらえていた父さんが大よろこびで、「いや、全くそうだ! いかんね」と真黒い足をバタンコと鳴らしました。情景些か髣髴でしょう? 四時一寸すぎに引き上げました。
そして帰って、夕飯は目白の先生とみんなでしました。みんなから呉々体をお大事に、と。
『日本戦記』という本は何冊もあって元亀、天正から封建時代の戦争を軍事科学として研究したもので、参謀本部が十数年かかって大成した仕事です。朝鮮戦史(秀吉の唐入《
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