一人の人間の生命が六七十年以上あったらたまらないし、なくて自然と思います。自分は希わくば、そこいらで一遍死んで又生れかわりとうございますが。そして、この創造と破壊の猛烈なテムポにつれて、いつの時代も必ず人々の一生は短縮され、そのテムポにふさわしい、過去を知らぬ世代の大量的代謝が行われます、これも意味ふかいことです。こういう代謝によって、歴史は流血の腥さに痛まないで(其を経験しない人々によって)歴史的業績の純理的継承をして、そして、より高まるのです。もしすべて経験した人々がすべて不死であり、彼等の肉体的惨苦をくりかえし物語るのであったら、よしや其は最も光栄ある事業であるとしても、人間は動物的本能からそれにおびえるでしょう。怯懦となるでしょう、度々ストライキして遂にダラ幹となる市電の古い連中のように。人類の歴史の豊かさは、どこも一人の人間が二百五十年生きつづけないところに却って在りそうですね。短かさを知って精一杯にそれを生きるよさに在りそうね。デモ、自分の原子ガ別ノモノニナッタトキ、自覚シナイカラツマラナイ。生れかわりたい欲望は人間につよいものなのね。輪廻の思想が生れたりして。
 ぐっすりお眠りになれるのは本当に助けの神です。それ丈お疲れになるということですが、それにしろ眠れるのは助かります。もうすこしの辛棒で秋涼になります、かけぶとんの綿の柔かい暖かさが可愛ゆく感じられるように。今年の夏わたしは万端一人でしたから疲れも去年よりひどかったのよ、去年はうちのことちっともかまわないでよかったから。では又、呉々お大切に。

 九月一日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 九月一日
 きょうは二百十日です。涼しい朝でした。十時頃ですが、まだ日よけの葭簀の下に朝顔が開いていて美しゅうございます、ひどい蓬生《よもぎう》の宿になってね、その雑草の中に、這い次第に咲く朝顔は風情深うございます。春休みに太郎が来たとき蒔いたのが今咲いているのよ。秋の朝顔という字もきれいです、早い夏のは凡俗ですが。咲きのこったように花が小さく色が濃くなって、秋の朝さいている花はきれいね。目白の上り屋敷の駅の外のごたごたに、秋咲く朝顔があって、いつも目にとめてはあすこから池袋へ電車にのりました。
 涼しくて体が苦しくないとうれしいうれしい気がします。今年は秋が待たれます、早く残暑がすぎて小堅く涼
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