ストイは、「戦争と平和」にしろ、事件の大さそのものを性格と等位におき、大事件にかかわるかかわりかたのモティーヴを個々の性格においている。現実はいつもこの均衡を保ちません。殿様としての生活の立場がこういうところにもあるわね。将来の作家には大した仕事がひかえています、大きい規模で事件を全輪廓においてとらえつつ、自覚ある性格の活動が統一して描かれなければならないのだから。この節の作家のように一二枚の新聞用原稿に、維新頃の壮士文学のような肩ひじ張ったポーズを示して満足していたとしたら、こういう大事業はいつ、どうしてなしとげられるでしょうね。
 合点の上にも合点すべきということは全くであると思います。
 この前九日にかいた手紙につづいて、又巻紙に歌かいてお送りしました。ついたかしら。
 九日にかいて、きょうは十七日だから御無沙汰になりましたが、間で、初執筆をして居たので。二通りかけなかったの。
 私たちに白藤をくれた古田中夫人(母のいとこ)のこと名だけも覚えていらっしゃるでしょうか、あのひとが、やはり糖尿で、十六年の十二月十何日かに死にました。こんど追想集が出るについて、私にもかいてくれと云われ、それをかきました。二十枚ばかり。「白藤」と名づけました。
 本になったらどうぞきびしく読んで下さい。きびしく、というのは、わたしが、どの位ものをかく上で常態に復したか、それが知りたいからよ。神経と関係のある文章の動きのリズムが弾力にとんでいて、リズミカルであるか、感覚が緻密か粗大であるかという点を、ね。書いている間には、自然で、なだらかに展開いたしましたが。ほんとに其がしりたいの。こんなに言葉が落ちるものの話しかたがのこっている以上、気になるのよ。あなたは余りお気づきにならないようだけれど。それが分るほど長くたくさんいろいろのことを喋る時間がないからなのね。長く喋っていると、ガタガタにしか発音出来ない音の重りがあります。却って口の方がそうなのだろうが。
 でもね、私は、人前で喋々出来にくいことになって、いいと思うのよ。作家はかけばいいのです。喋らずといいわ。画家は描けばいいのよ。中川一政が、字で喋り、そのお喋りは絵よりも往々にして面白い。これは一大事だわ。ですからね。では明日。さむくないように。

 一月二十四日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕

 一月二十四日
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