没収財産を買っては、息のかかった成上り貴族をこしらえはじめてから、再び対立の根を与えてしまって、遂にルイ十八世というようなものを出現させ、ダラダラとナポレオン三世まで来てしまったのでしょう。ナポレオンの功罪は大変大きいのね。思われているよりも大きいのね。マリ・アントワネット、カザリン・ド・メディシスなどは、所謂歴史上の定評を訂正されていますが、マラーなんかはどう見られているのでしょうね。本場には、いろんな人のメモアールなんかがあって、ユーゴーは「九十三年」は其等をよく調べて居ります。カーライルなんかあの歴史の中でどう見たのかしら。
 バルザックはナポレオンを、一七九五年の舞台にのぼせていますが(暗黒事件)深く入っては居りません。
 ユーゴーが、全輪廓から見てゆき、常に人間の進歩を信じる動機で其を見ているところは、ロマンティシズムの積極の面ね。笑い出してしまうのは、進歩に伴っておこる大波瀾は歴史の必然であって、その必然は神様だけがしろしめすところだ、という文句です。雄大なものね。どっしりそう云って坐っているのですものね。
 こうしてみると、ユーゴーは、非常に大きく力づよく複雑な機械をその内部に入れてどっしりかまえている建物の壮大さであり、バルザックは、内に入ってはじめておどろきを新たにする機械そのものの巨大さ、相互関連の複雑さ、人間を駆使する力と云ったような異いがありますね。
 こういう人々と並べて、というか、つづけてというか、トルストイを見ると、何だかこれ迄とちがった心持がします。近代文学のテーマの推移ということを感じます。あんな大きい「戦争と平和」ですが、真のテーマの大さというものはどういうものでしょうか。性格(主体的には自己)がモティヴとなって来ている十九世紀末以降の文学は、いつぞや云っていたように、もっともっと深く勉強されるべきですね、そこから前進するために。そして、初期のリアリストたち、或は其以前にさかのぼってみることは有益です。自分達から先の世代の文学に何が求められているかということが、一層わかるために。バルザックの作品の世界では、各性格は自身の性格への自覚と存在意義の自覚をまだもっていなくて、事件の力にふりまわされます、その人なりに。そういう形でしか性格はないから、人物は単純ね。ユーゴーは理想のために人物をつくりました。ゴーヴァン対シムールダン博士。トル
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