、そのことによって宝石となり得る優秀な人々にとって流謫《るたく》とは何たる深い意味をもっていることでしょう。ツワイクは一九一四年頃の「三人の巨匠」のドストイェフスキー論の発端にそのことを云って居ります。ワイルドがかなくそになってしまった辛酸の中で、ドストイェフスキーは宝石に自分を鍛えた、と。そう云いつつ、ツワイク自身、自分の流謫を支え切れなかったのは、何と哀れでしょう。それに、そういう芸術家にとって真に自分を見出させる流謫の形が、決してチャンネル・アイランドとか、雪の野とかきまっていないのも、何と味あることでしょうね。ただ多くの場合、その境遇の真価を理解するだけ、自分の生涯というものの意味、存在の意味について考えつめられず、目前の暮しに視点をたぶらかされるから、徒に、不遇的焦慮に費されてしまうのでしょう。
「九十三年」でもう一つ大いに面白かったのは、ユーゴーらしい自信をもって、ダントン、ロベスピエール、マラーの大議論を描き出していることです。これは勿論非常に単純化されて表現されているし、原則というものに立っての理論の通った論議ではありませんが(時代の性格として)三人の人となりと、当時の有様がよく想像されます。マラーという男は、私なんかのように浅薄な知識しかなかったものには、冷厳極る流血鬼のようにしか考えられませんでしたが、決してそういう人物ではなく、三人のうちでは清廉な人間であり、政治家であったのね。九十三年の有様が、ヴァンデーをはじめ、フランス中支離滅裂であるということを最も案じたのはマラーであり、その統一の力を求めたのもマラーであり、そのために集注的権力を一人に与えることを=即ちマラーとしては得ることを――考えたのであり、そのために、清めようとして骨までしゃぶる親鼠となってしまったのね。ロベスピエールは、ブルターニュ地方を通じてピットの力、イギリスの侵入をおそれ、ダントンはオーストリア、プロシアをおそれていたときに。マラーの、その見とおしは、今日から見て正鵠を得ていました。マラーの卓見は、一面にその時代の巨頭間の勢力争いに足をひっかけられていて、コルデールが憎んで刺し、人々はそれで吻《ほ》っとしてしまって、腰をおろしナポレオンさんによろしく願ってしまったのね。その筋に立ってみれば、ナポレオンの初めの活動は、実に愛国的意義がありフランスの救いだったのに、亡命貴族の
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