ってくれていた、あの人もゆき、改造が閉鎖ですから(命令で)その苦しい方の組でした。細君がこれからやってゆくの。日本評論の人もゆきました。もう一年分継続するよう計らっておいたとはがきくれて、もうそのときはいなくなったのよ。戦争の後段に入って出てゆく人々の見送りは何と申しましょう。「歓呼の声に送られて」と旗を振って出た初め頃より沈痛であり、国民軍という感がひとしおです。では又、お大切に願います。
八月二十八日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
八月二十八日
夕立でも来そうな工合になって来ました、おなかの工合いかがでしょう。きょうは久しぶりの二人遊びでうれしいけれども、どことなくおとなしい遊びぶりよ、あなたのおなかが何しろそんなあんばいですし、わたしもトーモロコシで底ぬけ気味で、朝おかゆたべ、今パンたべ、砂糖なしの紅茶のんだところですから。あんまり声も大きくなく、けれども飽きることを知らないで、あれこれと話すそんな二人遊び。
さて、ここに、七月二十四日、二十七日、八月七日、十一日と四通のお手紙があります。二十四日について、この前の手紙でかいたように思いますが。二十七日の分には、『名将言行録』についてお話しがあります。この本も一―三、又なかなか手に入らないのでしょうね、あちこち訊いては居りますが。誰でもがもっているという種類でないので。岩波にすこしひっぱりのある人にたのんであります。この間一寸あの本がここにあったときよんで、如水は、やっぱりおっしゃるとおりに感じました。そして、勝ちすぎは云々というところ、文武両道について、又自分の息子は先陣に出張って戦うのに如水は背後にあってそれを止めないのを家臣が注意すると、あれの力量では先陣に出ないで勝つというところ迄は行っていないから、あれでいいのだ、と云ったあたり、なかなかの爺さんと思わせます、たしかに文章もいいわね。漢文の素養があって、どこまでも日本文の文脈で、ああいう簡潔な文章をかいた古人は賞讚に価します。徳川後代の文章は低下してしまっています。やたらと蒔絵のようでね。馬琴なんか、うざっこいわ。プルタークは昔一寸よんで敬遠してしまって。シーザーの妻の話は、そういうのだったの、ナポレオンの母という本には、はっきり出ていず、贈賂[#「賂」に「ママ」の注記]のように見えました。
「一はりの弓」の詩、お気に入って
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